どうもNon太(@LoveWifeLives)です。
これから子供が生まれ育てていくことを考えると、今までと違った目線や考え方が良く出てくるようになります。
かくいう僕もその一人で、今まで見ていなかったもの、気にしなかったものがよく目につくようになりました。
そこで思ったことは、子供には「そんなことしたらあかんよ」と言い聞かせるであろうことや、「そんな大人にはならないでほしい」と願うことを、言っている本人は何の疑問もなくやってしまっている人がどれだけ多いかということです。
これは今後自分にも関わってくる話だと思ったので、自分の戒めとして書き残しておこうと思います。
一人だったら「まぁいいか」でやってしまう行動が誰にもあるはず
誰しもが一度は経験したことがあると思います。
誰かと一緒にいる時(家族でも友人でも恋人でも)にはしないのに、自分一人になると「まぁいいか」と思ってやってしまうことが。
最低な極端な例ですが、こういうことです。
僕は昔、喫煙者でした。
もうたばこのポイ捨てなんて常習犯。路上はもちろん、車内で吸っている時にも窓からポイっと捨てたことさえありました。(今でも反省しています…)
本当にすみません。
他にもゴミのポイ捨てとか。
例えばコンビニでお菓子を買って食べたはいいけど食べ終わった袋が邪魔。捨てようと思ってもなかなかゴミ箱が見つからなくて、見つかるまでずっと持ち歩くのも面倒。
もういいやと道路の端の溝にポイッと捨ててしまう。
これも誰かと一緒にいる時だったら、迷うことなくゴミ箱が見つかるまで持ち歩いて見つかった時に捨てるはずなのに、一人だったらやってしまうことがありました。
誰かといる時、とりわけやったら怒られることが分かっている時や、自分のことをよく思ってほしい人と一緒にいる時、そしてお金が関わる時(ビジネスの時)には、そんなことをおくびにも出さずやらなくなります。
なぜならやったら自分にとってマイナスの作用を及ぼすことになると分かっているから。
ちょっとイイなと思える、これから付き合うことになるかもしれない異性と出会って、いきなりそんなことをする人はいないでしょう。たまに有り得ない人もいるけど。
だって、そんなことをしたら良い印象になるわけがないと分かっているから。
仕事の取引先の人がいる前で、いきなりたばこを吸って道端にポイ捨てする人も基本的にはいないはずです。そんなの関係ねぇってやっちゃう人もいるんでしょうけど。
だってこれからも仕事をほしいと思っているので、悪く思われるより良く思われておく方が仕事は振ってくれやすいので、とりあえず形だけでもちゃんとやってる感を出すはずですから。
でもなぜか一人だとやってしまう。
たばこの吸い殻やゴミのポイ捨てはかなりひどい例ですが、「誰かがいればしないけど、自分一人ならついまぁいいかとやってしまう」という経験は誰にだってあるはずです。
でも子供にはそんなことをしない人であってほしいと願う
小さい子供には、まだ物事の分別が分かりません。
だから親が、近くにいる大人が言って聞かせてあげないと、子供が成長するとともに間違った方向に進んでいくのは明白です。
生まれてずっと「自分に従わない人間がいたら、その人は殺してもいいんだよ」なんて言い聞かせ続けたら、間違いなく殺してもいいんだと思ってしまうでしょう。
もし子供にポテトチップスを買ってあげて、食べ終わった袋をいきなり路上にポイっと捨てたら、親である自分は何というでしょうか。
ダメだよって言い聞かせますよね。
実のところはこの注意の仕方が一番大切なポイントだと思ってますが、今回の主題と外れていくので控えます。(怒られるからしないという注意では意味がないってことです)
このように自分は「まぁいっか」でやってしまうことでも、子供にはしないようにと言い聞かせ、そんな人にならないでほしいと願う。
今までの話は全て例えばですが、自分の行動は棚にあげて子供にはそうならないように言い聞かせ願っている人が多いのは事実だと思います。
これはあまりにも矛盾していて都合が良すぎる願いだと思いました。
これって、「あの人はどうなってもいいから自分だけは助けて」と言っているのと同じように聞こえます。
「まぁいいや」でやってしまった方が楽だし生きやすい?
自分一人だったらやってしまうことが出てくるのは、その方が楽だし都合良く生きやすいからなんでしょう。
たばこを吸う時に、携帯灰皿を使わずに路上で吸ってそのままポイ捨てする。
携帯灰皿を使えば、吸い殻を処理する手間が出来てその分だけ時間がかかるので、ポイ捨てする方が断然楽です。
お菓子の袋を捨てることにしても、ゴミ箱が見つかるまで持ち続けるのは面倒です。それを道路の端っこにポイっとした方が楽です。
これは個人的な考えですが、楽で都合が良いに加えて、直接的に誰かの迷惑にならないと思っているからやってしまうんだろうなと考えています。
こんなに深く考えたことがなかったので当時の自分の気持ちは思い出せませんが、多分そんな考えもあったんだと思います。
デスノートみたいに「ポイ捨てしたらあなたの身近な誰かが死にます」と言われれば、誰だって絶対やりません。
でも、ダメな事だと分かっているけどついついやってしまうのは、自分にとって都合が良くて楽だからな上に、直接誰かに迷惑をかけることがないと考えているからしか思い当たりません。(最終的には地球が汚れるだとか、誰かが掃除する人の手間になって、といった迷惑なことに繋がるんですけどね)
やらなくなる方法は、気付いた後に意識して、勇気を出して行動すること
自分で自分のことを言うのは気が引けますが、僕は昔はかなりやばい方だったと思います。
ホントに自己中心的で「何が何でも我先に」という考え方をしてきました。
今でもたまにふとした時にこういう考えが出てきそうになりますが、昔に比べると天と地ほどの差があるぐらいマシになりました。
それは気付いた後に常に意識して、今までやってた自分とは違うけど勇気を出してその行動をするようにしたからにほかなりません。
今はたばこを吸わないのでそもそもポイ捨てはありませんが、ゴミのポイ捨てだって100%ありません。
それは妻と一緒にいようが一人だろうが、です。(まぁしないのが当たり前なんですが…)
誰だって色々な節目に気付くことはあります。後で後悔するということは気付いているということです。
でもその先が出ない。いや、出せない。
意識しようとしてもすぐに忘れてしまう。あとは、その一歩を踏み出すだけなのに出ない。
意識してやり続けるというのは自分に厳しくいることです。
常に自分に厳しくいることが、最終的にプラスになるということを頭では分かっていても、実践にはどうしても繋がらないんです。
なぜなら楽な方が良いから。
とは言え、これがビジネスに限った話になると出来る人が増えます。
どうしてかというと、実践出来た先にお金が手に入るから。
でも今回の話では、実践したところで目に見えた報酬は得られないですし、ポイ捨てを辞めたところでお金は稼げません。
さらには辞めたところで、誰かが得するわけでも辞めなくても誰も損しません。
だったら、楽な方で良いと思っちゃいますよね。
自分の経済的にプラスになることは我先にほしいと思うのが人間なのに、自分の心にプラスになることだけだとなかなか誰も勇気を出せないんです。
ホントはそれが一番大切だってわかっているはずなのに。
「いや、そんなことないで!」って言うなら、もっと日本だけじゃなく世界中がハッピーに包まれた世界になっているはずですよ。
子供が出来て人生観が変わっていくと感じる時こそチャンス
そこで今回の話。
自分はやってしまうけど子供にはしない人になってほしい、と願うなんて都合が良すぎるわけです。
だからと言ってなかなか自分が願うような人物像の行動を取ることは、大変でうまくいきません。
やらないようになるためには、
- 意識を変えて
- 勇気を出して継続して
- やらないことを習慣化する
しかありません。
ルールで縛って変えようとしても変わりません。それは山火事の火消しをバケツの水でやろうとしていることと同じです。
ちょろっと水をかけた場所だけの火は消せても、山火事全ては消火できないわけです。
自分の心が変わらない限りは一生変わらないということです。
最終的には自分がやるしかいないのですが、子供がいる人はその改革のチャンスがたくさんあることに気付きました。
子供が出来た時、子供の成長とともに子育てを学ぶ親は、子供から色々教えられることが多いと聞きます。
子供から学び気付かされることで、必然的に意識の改革が出来ていくんじゃないかと思ったんです。
そしてそれが自分の人生観の変化、果ては自分の行動の変化へと繋がっていくんじゃないかと。
その考えを裏付けるような心に残る出来事がありましたので、その一例をご紹介します。
姪っ子の優しい心
2017年、新しく年があけた正月、僕の家族全員が集まりました。
ご飯を食べたりお酒を飲んだりがひと段落した頃、近所の神社に初詣に行こうということで行くことに。
この時僕の妻はすでにお腹が大きくなっていたので、母親や兄の奥さんと留守番しておくことになりました。
僕の姉の子供(姪っ子)とは生まれた時から仲良しで今も慕ってくれており、その姪っ子達と一緒に向かいました。
初詣と言うと出店です。子供ならお参りよりも屋台の方がワクワクしますよね。
姪っ子も同様にベビーカステラが食べたいと言い出しました。
そこで、食べながら帰る用に1袋買っていくことにしました。
すると姪っ子はこう言います。
ベビーカステラは大人気で長蛇の列が出来ていたので、そんな話をしながら順番を待ちます。
やがて順番が来てベビーカステラをすぐ食べる用とお土産用で2袋注文しました。
すると1袋はすぐにもらえたものの、2袋めを詰めるベビーカステラがなくなり、今焼いている分の焼き上がりを待たないといけなくなったんです。
なので姪っ子たちと大人しく待ちます。
やがて焼き上がったので袋に詰めてもらい、神社を後にしました。
帰り道、僕は言います。
と。
すると姪っ子は、
とさらっと言ったんです。
姪っ子は小学5年生。少なからずやって良いこととダメは事の判断は出来ます。
でもこの頃の年代というのは、とにかく自分が、と「自分優先」が先行しがちです。
親や家族の前ならなおさら。
それを「お土産にすること」で満足していた僕の気持ちを飛び越えて、「お土産にするならせめて美味しい方を食べてもらおう」という気持ちまで持っていたことに、僕は感動しっぱなしでした。
そして一言でも自分が美味しい方を食べようと発言したことが恥ずかしくなりました。
ここで僕はまた、人に喜んでもらえることが自分の喜びになることを思い出すのです。
姪っ子には、僕や妻に良く思われたいなんて邪推な心があったのでしょうか?
もちろんそれは当の本人にしか分かりませんが、到底そんなことがあるはずがありません。
こんな風にして大人で親である自分たちは、何度も何度も気付くチャンスをもらえます。
多分一人で生活している時よりも、何倍も何百倍もそのキッカケがあるはずです。
それでも勇気を出して行動するまでに結びつかない人が多いから、矛盾した願いをして終わる人たちが多いのでしょう。
でも逆に、一人では気付くだけで何も動けなかった人が、子供の幾度とない行動から意識が変わり行動にまでつなげられ、人生観をがらりと変えられる人がいるのも事実だと思います。
これが子供が出来たら人生観が変わると言われる一つなんだろうと、思わずにはいられませんでした。
子供に願うならまずは自分がやることが大切 / まとめ
買い物のレジに我先に並ぼうとする姿も、電車の席で真っ先に駆け込んで座ろうとすることも、思い当たる人にはやってしまいがちな行動ではないでしょうか。
もし子供が我先に!と同じことをやっているのを見た時、「子供だから仕方がない」と思うことがある反面、「もし譲る心を持ってくれてたら素敵だなぁ」と願ってしまうはずです。
仮に、同じタイミングで並ぼうとした人がいて「あ、先にどうぞ」なんて光景を見たら、「こんな子に育ってくれてうれしい」と思うわけですよね。
私生活でも何事においても、自分に甘く人に厳しい、自分は出来ないけど相手にはやらせる、なんてことは矛盾しているんです。
この社会で生きるためにお金を稼ぐことが最優先事項だからこそ、ビジネスにおいては特にこの考え方が取り上げられます。
上司と部下の関係で、上司の教育論としても取り上げられたりしています。
そして仕事として実践できる人は結果を出していきます。が、いざ私生活になると出来ない人だらけです。
ビジネスでやれるマインドを持っているなら、僕は私生活、さらには家族にもその同様の心を向ける必要があると思っています。
そうやって実践出来た仕事の先に得られる報酬はお金です。
では私生活で実践した際に得られるものは、形こそなくとも誰もがホントは一番ほしいと思っている愛ですよ。
これは夫婦の愛だけにとどまらず、家族愛や友情愛かもしれないし、隣人愛なんてこともあるかもしれません。いわゆる思いやりの心ですね。
僕も常に意識して、生まれてくる子供とともにこれからも行動していきたいと思います。