どうもー!夫婦プラスニョロ助(昨日で生後2ヶ月が経過!)の3人暮らしのNon太(@LoveWifeLives)です。
ニョロ助を妊娠し、妻のつわりが激しかった頃から思っていたことがあります。
と。
つわりの症状が激しくてぐったりしている時は何となく家の中がどよーんとしているし、症状が治まってきた時に妻が明るいと、家の中が賑やかになるような楽しい雰囲気に包まれてました。
そしてそれはニョロ助が生まれて一緒に子育てをするようになり、その想いがかなり強くなりました。
そう、我が家において、僕にとっての妻、ニョロ助にとってのママの存在は太陽だ、とつくづく感じているんです。
自慢やのろけとかじゃなく、本当に感じています。
実際の天気で考えてみても、快晴で雲一つない青空の天気が広がっている時は、心も清々しく気持ちも晴れ晴れしますよね。
一方、雨が降ってたりどんより曇り空で太陽が出ていない日は、何となく気分が沈みがちになります。
それと同じで妻の元気がなかったりすると、家の中がどんよりした感じになるんです。
外の天気は自分の力ではどうすることも出来ません。
ですが、家庭の中の天気は自分たちの努力と実践によっていくらでも変えることが出来るわけで、それなら気分が晴れやかになる快晴の天気が続く方がいいですよね。
こんな想いを常に感じ、そうなるように日々実践をしていると、夫婦関係のことはもちろん子育てにおいても全く心配がなくなりました。
ありがたいことに、妻は何も言わなくても一つの曇りもなく光を注いでくれるので、あとは夫婦が穏やかに過ごせて、子供がしっかりと根を張れるように、僕がフカフカの土でいられるように努めれば何も心配することはないと気付きました。
太陽に照らされている家はとにかく気持ちが良い
朝起きて太陽の光を浴びれば気持ちが良いように、太陽が照らされている家の中は、何かと気持ちが良いものです。
極端な例ですが、
「ただいま」と仕事から帰宅した時に「おかえり」と笑顔で迎えてくれる家と、何も反応がなく言葉も交わさない家。
まだ言葉を話せない赤ちゃんに向かって、会話しているかのように言葉をかけてどんなに泣いても赤ちゃんの存在を愛おしいと思っている妻(たまに疲れてるけどw)と、思い通りにならない子育てに言う事を聞いてくれない赤ちゃんだからと常にプリプリしてしまう妻。
もしどっちが良いか?を選ぶとしたら、どちらが良いかは言うまでもありませんよね。
ここまで極端な例は稀だと思いますが、とにかく妻が笑顔でいてくれれば、家の中はとにかく明るくて気持ちが良いです。
晴れた気持ちの良い日にピクニックに行って、お弁当を広げて食べるご飯って美味しいですよね。
お弁当がおにぎりだけだったとしても、おかずが卵焼きしかなかったとしても、(最低限常識的な味の担保は必要ですが)どんなものでも美味しいものです。
これも同様で、太陽に照らされている家の中で食べるご飯は、例えおかずが少なくても質素な料理が出てきても美味しいものです。
正直赤ちゃんの育児をしていたら料理を作る時間だってままなりません。(そのくせ僕は料理が苦手すぎるので、妻にまかせっきり…)
お互いの味覚が似ていたというのも理由の一つではありますが、僕が家で食べるご飯がいつも美味しいと感じるのは、太陽の下で食べているからというのも一つの理由なんだと思います。
種がすくすく育つには太陽の他に肥よくな土が必要
我が家では色んな植物を育てています(これもほとんど妻がお世話してくれてますが…)
上記写真はその一つのパキラ。この1年でかなり大きくなってます。(ちょっと葉が黄色くなってるけど汗)
この植物たちも、太陽の光が注がれる方に上へ上へと伸びていきますが、伸びていくためにはしっかりと根を張れる肥よくな土が必要になります。
種が実を成すためには、太陽だけでは育つことが出来ません。
たくさんの日光を浴びるとともにしっかりと土に根を張ることで、光合成が出来たり綺麗な花を咲かせたり、食物の栄養素を作り出したり出来るわけです。
たった2ヶ月しか育児に携わっていない僕が育児のことを話すのはおかしいかもしれませんが、これは子育てにも同じことが言えるなと感じています。
ただ太陽の光を与えるだけじゃなく、地に足つけて真っ直ぐ歩ける土を用意してこそ、子供はしっかりと育っていってくれるんだと。
ゴツゴツの石の上よりも、フカフカの土の方が根は張りやすいはずですから。
自分たちの都合とは言え夫婦が離婚したり離れ離れになってしまい、父親もしくは母親が一人二役のように太陽にもなり土にもなり、立派に頑張っている方がいるのも知っています。
それを否定するつもりなんて毛頭ありません。
今の環境になったことは自分が決めて進んできたことでしょうし、その中で出来得ることを精一杯やっていくことが大事ですからね。
家庭内の天気は少しの気付きと努力と実践で毎日晴れに出来る
自分で言うのは何ですが、じゃあどうして我が家の太陽である妻は、いつも明るい光を注いでくれるのでしょうか。
妻が仏様のような人で、いつもニコニコなにがあっても許してくれて穏やかにいてくれる人だからでしょうか。
答えはそうです。
妻がいつも楽しそうで元気そうで、ニョロ助が生まれてきてくれたことも本当に嬉しそうで、何があっても常に笑ってくれている人だから、毎日我が家の家の中は明るいんです。
でもこれだけなら、
「そういう人と一緒にいるからそう思えるだけだろ!」
「自分のパートナーは、そんな毎回毎日常に笑っている人じゃないから無理だ!」
という声が上がってきそうですね…。
ただこれには続きがあって、「いつも笑顔でいてくれていることに気付いた僕がいる」ということです。
これも笑顔でい続けてくれた妻がいるからこそ気付かせてもらったという方が正解なのですが、最終的には「笑顔でいてくれていること」に気付き、このように言葉で表現出来るまでになったわけです。
夫婦は常に鏡です。自分の行いは相手に伝わり、それがまた自分に返ってきます。
でも返ってきやすいのは負の感情です。
例えば、毎日妻が笑顔でいるかたわら、僕が常にムスっと仏頂面をしていたとすると、笑顔が返ってくるよりも仏頂面が返ってくる方が多いってことです。
もし僕が「妻がいつも笑顔でいてくれていること」に気付くことなく、そして「その笑顔を見続けるにはどうしたらいいんだろう」と考えることもなく毎日を過ごしていたら…
さらにそれが普通だと思い込んで自由奔放に過ごしていたら…
もしかすると、いつかその笑顔は雲で覆われてしまっていたかもしれません。
まずは気付き、そのことをちゃんと理解し常に実践していくことで、太陽の光はいつでも家に降り注ぐものだと、自分の体験として確信しています。
社会の一番の始まりである家庭が明るければ未来は明るい / まとめ
じゃあ最後に自分がフカフカの土でいられるようになるためには、ということになりますが、すでにここまでのことを実践出来ていたら、もうすでになっているはずです。
こういう言い方をすると、自分自慢のようにとらえられかねないのが残念ですが、言葉で表現するために自分を分析して反芻してみると間違いありません。
たくさんの太陽の光としっかり根を張れる土が揃っていれば、種は迷うことなくすくすくと成長するんです。
そしてこれは僕が自分の人生を通して証明したいことでもあります。
この世界は大きな社会で構成されています。
宇宙が存在してその中に地球があって、それぞれ国家があって、国の中にも州や県があり、会社があり組織があり、そのどれもが1つの社会です。
そして、行きつく先の一番最初の小さな社会が家庭なわけです。
命の連鎖は家庭があるから起こり、社会との関わりは家庭から始まるんです。
大きなものを支えるには、まず根幹の土台である基礎がしっかりしていることが大前提です。
では、大きな社会を支えるためには、社会の根幹である「家庭」がしっかりしていることが大前提です。
家を建築したり何かを勉強するとなると基礎が大事だ!と口酸っぱく言われるのに、なぜか家庭のことになるとおろそかにしてしまいます。
本当は、この大きな社会の根幹で一番最初に関わる社会である「家庭」についてどれだけ大事かを理解しておくことが一番大事なはずなのに。
家の中に光が差し込み、穏やかにいられることは心の安定につながり、その穏やかな心は一歩外に出た社会への貢献へと繋がり、それがさらに踏み込んだ先の社会への発展につながっていきます。
基礎がしっかりしていれば何度でも巻き返しが可能なように、社会の一番の始まりである家庭が明るければ、例えどんなことに遭遇しても未来は明るいんですよ!
これからも僕はこのことを忘れずに、常に太陽が曇らないように、もし疲労困ぱいで陰ってしまったならその時はたまに僕が太陽になって、土がゴツゴツにならないように見守りながら、二人三脚で育児も日々の生活もしていこうと思います。