死ぬ間際に人生を振り返った時の想いを考えれば、今すぐにでもやるべきこと・大切なことは見えてくる

人間は誰もがいつか死にます。

そして死ぬ間際には、「人生もっとあぁしておけば良かった、こうしておけば良かった」とたくさんの後悔があふれてくると聞きます。

とある記事で書かれていたことですが、死ぬ間際をお世話した看護師さんによると、全ての男性が持っていた後悔は「こんなにも働きすぎなければ良かった」なんだそうです。

もっと仕事ばかりにとらわれず、日々大切だと思えることに時間を使えば良かったということですね。

それは例えば、

  • もっと子供の成長を見守る時間を取れば良かった
  • もっと配偶者と一緒に過ごす時間を持てばよかった
  • もっと愛する人に愛していると想いを伝える時間を作れば良かった

こんな想いで包まれるんだそうです。

 

改めて気付くのは、「もっと〇〇しておけば良かった」の全てが想いに関することで、普段人が抱くお金や地位だとかの欲望とは真逆の想いであること。

と言っても、頭で考えただけなら、確かにそうだなと理解できることばかりです。

子供がいる人は、もっと子供と過ごせる時間を増やした方が良いと思ってるだろうし、結婚している人はパートナーと過ごす時間を増やしたり愛情表現をした方が良いと分かっているはずです。

でも、考えれば分かっているはずなのになかなか出来ません。

考えてみると、頭では理解して納得出来るのに、死ぬ間際になったらみんなそう思って後悔することを分かっているのに、それなのにできない人ばかりです。

僕だって偉そうに言っているけど、まだまだ出来ていなことだらけです。

今考えて確かにそうだなと思ったのであれば、やっぱりそれを意識的に実践するべきですよね。

お金はあの世に持っていけないという事実

人が死ぬ前に後悔することってどんなことがあるんだろう?と思う方は、一度「死ぬ前に後悔すること」とググってみてください。

色んなサイトでたくさんの言葉が並べられています。

そこで気付くことは、お金に関する想いはただ一つとしてないことです。

  • もっとお金を稼いでおけば良かった
  • もっとがむしゃらに働いて成功しておけば良かった

死ぬ間際にこんな思いになる人が見当たりません。(広い世界、そう思う人もいるかもしれませんが)

この世でどれだけお金を持っていても、どれだけ高級車を乗り回していても、どれだけ地位や名誉があろうと、死んでしまえばそんな物質的なものを天国には持っていけないわけです。

スピリチュアルな話に進んでしまいそうになりますが、潜在的にあの世にはお金を持っていけないことをすでに理解しているとも言えるんじゃないでしょうか。

潜在的に理解しているからこそ、死ぬ間際になって想うことは「愛を与えるべきだった」や「もっと素直に生きるべきだった」という後悔になっているんだと思うんです。

 

「いや、当たり前やろ!持っていけるわけないやろ!」って話しですが、じゃあどうして死んだら持っていけないはずのものを、人は追い求めるんでしょうか?

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死んだら終わり、何もかも

どうしてお金や贅沢を追い求めるのか。

多分それは、死んだら終わりと思っているからです。

死んだら全て終わり。何もかも終わり。

それだったら自分の思いのままに生きて、1度限りの人生で、この世の贅沢と言えるものをたくさん堪能して死んでいった方が良いと思いますよね。

 

お金はないよりある方が良いし、あればほとんどの経済的な悩みは消え去ります。(心の悩みは消えないだろうけど)

死なないだろうなと普通に生きられている時はお金稼ぎに奔走しているはずなのに、死ぬ間際になるとそんな想いは一切出てこなくなる。

何でなんだろうって思いませんか?

死んだらそこで全て終了なんだったら、死ぬ間際に出てくる想いも、「もっと美味しいものを贅沢に食べておけば良かった」だとか、「もっと金を稼ぎまくって遊びまくったら良かった」だとか、そんな考えがもっと出てきてもいいはずです。

 

それでもそう思わないのは、潜在的に死んだら終わりじゃないことを知っているからです。

宗教だ、頭イカれた奴だと言われるかもしれませんが、僕はそう思いました。

後悔してしまうということは、ホントは実践するために生まれてきていた

今日はね、僕が話したいことを話しまくることにします。

後悔とは、自分がしてしまったことを後になって悔やむことです。

そこでこう考えてみました。

  • 本当はたくさんの愛情を注ぐために生まれてきたのに)子供との時間を取らなくて後悔。
  • 本当は夫(妻)に、たくさんの愛情を伝えるために生まれてきたのに)パートナーには愛情を伝えなかった。そんな時間を取らなかったことを後悔。
  • たくさんの人に優しさを与えるために生まれてきたのに)全然優しくしなかったことを後悔。

こう考えてみた時、全てのことが腑に落ちました。

 

要はこういうことです。

人はみんな生まれてくる時、愛情や優しさについてたくさん与えようと、実践しようと生まれてくるんです。

お金に関する欲望なんてゼロ、全く考えることすらなく生まれてきます。

んん?と感じる人は、赤ちゃんのことを想像してみてください。

泣いて困らすこともありますが、赤ちゃんの寝顔を見て誰もが顔を緩ませるはずです。

生まれて何も考えられないはずの赤ちゃんは、たくさんの人に愛情を注ぎ人に優しさの気持ちを芽生えさせる力を持っています。

 

でも、大人へと成長していくにつれて、この物質経済においてはお金の力が強大であることを知り、それがあれば1度きり(と思っている)人生を潤してくれる潤滑油になる。

そしていつしか愛情や優しさを与えるという実践を忘れ、お金を稼ぐことを第一に置いてしまいます。

そしてどんどん自分が愛情を注ぐことの大切さや人に優しくいようとする想いは、記憶の彼方に忘れ去られていきます。

気付けば自分のことばかり考え、「相手のことを想っている」と表面上では語りながら、自分が良ければそれで良しと思ってしまいます。

いつしかお金は稼げるようになっているかもしれません。

贅沢な暮らしも出来るようになっているかもしれません。

そして、物質経済の上では何不自由なく日々の生活が出来ていたはずなのに、いざ死ぬ間際になると、

どうしてもっと人のために尽くさなかったんだろう…

となるわけです。

 

それはやっぱり、人を愛し人を想い優しさで溢れた生活をするために人は生まれてきたから、という考えにたどり着くんです。

お金を稼ぐことがダメみたいに聞こえるかもしれませんが、全くそんなことは思っていません。

心を無視して行動していることに、色々と思うことがあるというものです。

ということで実践しよう!/ まとめ

死んだ後の世界がどうとか、人は愛と優しさを与えることを実践するために生まれてきただとか、そういうことはおとぎ話と思ってくれてもいいです。

ただ死ぬ間際になって、後悔することがお金に関することじゃなくて愛や感謝や報恩の気持ちであることが分かっているんだから、今すぐその想いを実践しよう!ということです。

それだけでパッと行動できるなら何も問題はありませんが、これがまた難しいんですよね。

でも、僕はほんの少しずつこういった考えのもとに行動するように心がけることで、ほんの少しずつでも変わっていっている実感があります。

人生においてお金じゃないというところの本質は、こういったところにあるんだと僕は思っています。

誰もが共感してくれるわけじゃないにしても、どこかの誰か一人でも、心に光が差し込まれればいいなと思います。

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