初めての入院を経験したことで、その時の話題をブログに投稿しまくっているNon太(@LoveWifeLives)です。
まだ入院していた頃に、翌日の退院が決まったことで病院で過ごすのが最後の日だなとなった時、色々と思うところがあって「ありがとう」と思えた感謝の数々を振り返ろうと思いました。
すると、どうして気付けなかったんだろうという想いと、こんなにも溢れていたんだなという驚きと、なぜかは分からないけど涙がいっぱい出そうになりました。
感謝の想いで心があふれると、ホントに人に優しくいられる自分がいます。
こうやって日々の生活を過ごすことが出来たらなんて幸せなんだろうと。
この想いがたくさんの人に届けばいいなとも思ったので、僕が入院中に起こった出来事と共にお話ししたいと思います。
入院中の感謝の数々を挙げてみました
手術をしたり入院をした経験がある人は、容体が良くなるにつれて、実際に快方に向かうために目に見えてお世話をしてくれた人たちには、感謝の想いが出てくるはずです。
- 手術をしてくれた先生に
- 診察をしてくれた主治医に
- 毎日お世話をしてくれた看護師に
病気を患うと、今までの当たり前が当たり前じゃなかった事にも気付きやすいですし、それが快方に向かっていけば、なおさら直接関係した人たちには自然と「ありがとう」と思えます。
でも、実際入院中にはじっくり見ないと気付かないものがたくさんあります。
その一例としては、
- 毎日部屋の掃除をしてくれる人に
- 毎日ゴミの回収に来てくれる人に
- シーツを替えに来てくれる人に
などです。
とは言え、この一例も自分が入院している部屋に来て直接やってくれることなので、少し目を配らせれば気付く人もいるでしょう。
そして感謝の気持ちに気付けたのなら、言葉にして想いを伝えていくことも大切です。
なので僕は、翌日の退院が決まった時、いつも通り部屋の掃除をしに来てくれるおばちゃんに伝えました。
恐らく明日に退院。
毎日この時間に部屋を掃除しに来てくれるおばちゃんに、
「僕明日で退院なんですけど、毎日綺麗にして頂いてありがとうございました」と伝えた。言われ慣れてないのか、おばちゃんは少し恥ずかしそうだった。
一言でこんなに変わる人の想い。
ずっと大切にしたい。
— Non太 (@lovewifelives) 2017年1月16日
おばちゃんを元気づけようとしたわけじゃないし、言わなきゃいけないと感じたわけでもない。でも伝えたくて仕方がない衝動に駆られたんです。
なかなか面と向かって言葉にするのは恥ずかしかったのですが、勇気を出して伝えることが出来ました。
そのお陰で、僕の心がものすごく穏やかな気持ちになったのは言うまでもありません。
目を凝らせば他にもたくさんある
もっとじっくり見たり思い返してみると、たくさんのことに気付きました。
- 毎日トイレ掃除をしてくれていた
- 毎日シャワールームを綺麗にしてくれた
- 毎日デイルーム(談笑ルーム)を清潔にしてくれていた
掃除のことばっかりですが…w
入院していても、トイレにも行くしシャワーも浴びます。
トイレが汚いとやっぱりイヤだし、シャワールームも水アカや水でベチャベチャだと困ります。
でもそんなことは微塵も感じなくて、いつも清潔に利用できました。
それは他でもない掃除をしてくれていた方達がいたからです。
これは、部屋の掃除をしてくれているおばちゃん達が、トイレやシャワールームの掃除もしてくれていた光景をたまたま目にしてやっと気付いたことでした。(最終日まで全く気付けなかった…)
すべての方にお礼の言葉を伝えることは出来ませんでしたが、快適に過ごさせてもらったことに心から感謝しました。
感謝の気持ちで満たされると自然と優しさが出てきた話
この記事は、自分の実体験を言葉にして綴っているだけのものです。哲学書を読んで言葉にしているわけじゃありません。
それでも僕の中で確証めいて気付いたことがあります。それは、
人は心からの感謝の想いを持つと、自然と優しい気持ちが出てくる
というものです。
その証拠に、入院最終日に起こった出来事をご紹介します。
入院最終日となった昼過ぎの出来事。僕はベッドの上で、感謝の想いにふけっていました。
入院中の部屋は4人部屋、ベッドとベッドはカーテンで仕切られています。
そして僕が入院した日に同じく入院が始まった、永井さんという70代ぐらいのおじいちゃんが向かいのベッドの人でした。言わば、お隣さんです。
お隣さんと言えど、特に会話もすることなく1週間が過ぎていました。
僕は鼻(おでこ)の手術で、おじいちゃんは目の手術。
手術箇所が違うので、シャワーを浴びても良いという許可に時間差がありました。
僕は入院3日目からOKでしたが、おじいちゃんは5日目ぐらいにやっと肩より下だけシャワーOKの許可が出て、僕の入院最終日にやっと頭までシャワーOKと許可が出たようでした。
※カーテンで仕切られてるだけなので、看護師さんとの会話が聞こえるんです
そんな折、おじいちゃんと看護師さんとの会話が聞こえてきました。
おじいちゃん:「いやー名前を書きに行こうと思ったらね、いっぱいだったわー」
看護師:「シャワーですか?あれ早い者勝ちなんでねぇ〜。明日は入れるといいですね」
(もうちょっと配慮してあげたらいいのにと思いつつ)
そんなやり取りが聞こえてきました。
そう、この病院のシャワールームは予約制ではあるものの、予約制とは名ばかりで名前を書いたもの順に枠が埋まっていく結局は早いもの順だったのです。
この時の僕はと言うと、前日もシャワーを浴びて頭も洗えています。その上でこの日も16時にシャワーの予約を入れていました。
一方おじいちゃんはと言うと、入院して以来5日間シャワーも浴びることが出来ず、頭に関しては7日間も洗えていなかったんです。
そして7日ぶりにやっと頭を洗えると思ったら、シャワールームの予約が一杯で入ることが出来ない、というものでした。
翌日には僕は退院するのに、おじいちゃんは翌日以降も入院が続く。そんな状況だったんです。
おじいちゃんと看護師さんの話しをカーテン越しに聞いた僕は、すぐさまベッドから起き上がり声をかけました。
と。
おじいちゃんは「ほんまかいな?」とでも言わんばかりに目を丸くして、「ホントにいいんですか?」と言いつつ、「じゃあ甘えさせてもらおうかなぁ」と言って僕と一緒に予約の名前を変更しに行きました。
どうして僕がこの行動を取ったのか、なぜそんなことをしたのか?と聞かれてもうまくは答えられません。
でもなぜか、替わってあげるとおじいちゃんは喜んでくれるかなという気持ちが出てきたので替わろうと思い至ったわけです。
ちょうど入院中、感謝の想いを振り返っていた時に起こった出来事でした。
というように、「ありがとう」の想いで満たされている人は、自然と見返りも何もなくても人に優しくしようという想いが出てくるものなんだと思います。
その後、おじいちゃんが「ありがとう」と言って僕のベッドルームに来て、チョコレートをくれました。
嬉しかったです。
でもそれはチョコレートをもらえたことが嬉しいんじゃなく、おじいちゃんの気持ちが晴れやかになってくれたんだなと感じられたことに嬉しくなりました。
気付いた人から歩み寄り実践していく社会
このおじいちゃんの件もそうですが、「えーっ?!」と思うような出来事が起こった時にかけてもらった人の優しさは、心に記憶されて忘れないものです。
そしてその記憶はふとした時に蘇り、何か困っている人がいるのを見つけたら手を差し伸べようと、そうやって優しさの連鎖として続いていくものなんだなと気付きました。
本当であれば、優しくされたからとかじゃなく自分で気付いて実践していくのが大切です。
でも今僕たちが生きている社会は、昔のように出家すれば布施を受けられ、食べ物に困らないようになるわけでもないし、お金がなければ生きていけない世の中です。
だから働かなきゃいけないし、しんどいこともたくさんあります。とってもとっても厳しい世界だなって思います。
苦しい時大変な時、そんな時に誰かから受けたほんのちょっとの優しさで、「人生捨てたもんじゃないな」って思ったりして、こういった想いに気付いてもらえるなら、僕は進んでその優しさを与えていける人になろうと思いました。
なぜなら、僕は気付くことが出来たからです。
世の中には色んな考えを持った人がいます。
優しさのつもりでやったことが、ありがた迷惑やおせっかいと言われ、優しくされるのを良いことにそれをダシに使って騙そうとしたりする人もいるかもしれません。
だから自分自身がしっかり見極める必要があるのは事実です。
でも僕はこんな何でもない優しさの連鎖が、人の心が変わっていくキッカケの1つになっていくんだと実感しました。
ほんの小さな出来事だったとしても、気付いた人から歩み寄って実践していかないといつまで経っても何も変わらないんだと。
逆を言えば、気付いた人から実践していくことで、少しずつ変えていけるものなんだと。
幸いにして僕にはブログというものがありました。
なのでこうやって想いを言葉にして、これからも伝えていきたいと思います。
少しでもたくさんの人に、この優しさの連鎖が伝わればいいなと思いつつ。
感謝の気持ち / まとめ
入院中に感じた感謝の気持ちをまとめるはずが、ちょっと脱線したようになった気がしないでもないですが…w
伝えたいのは、
穏やかに生きよう!
ということです。
極端な生き方をすると、感謝することも忘れてしまうだろうし、いつも何かに追われているような焦燥感に駆られてしまいます。
そうなると、すぐにイライラしてしまうし穏やかに生きることとは真逆の行動を取ってしまうんです。
時には効率を求めて厳しく行動しないといけない時もあるだろうし、踏ん張りどころってことで努力しないといけないこともたくさんあるとは思いますが、一番大切なはずの心を忘れたらダメ!ってことです。
そこに気付けた人から、少しずつでも実践していける社会にしていきたいと強く思った入院生活でした。