どうもNon太(@LoveWifeLives)です。
自分が日々の仕事に忙殺されていた頃、自分自身を振り返ることはもちろん、自分がやっている行動を思い返すことさえもありませんでした。
ある程度仕事量が落ち着いた今は、自分の行動を振り返ってみることが増えました。
すると、忙しかった頃と比べてもたくさん変化していることに気付くんです。
その中でも一番大きく感じたことは、「やましいことのない生き方」が出来ているということかなと。
バレたからと言って命を取られるかもしれない程に、やましいことをしている人はほとんどいないと思います。
でも、バレたらほんの少し気まずくなる程度の、ちょっとした「やましいこと」はついつい出来心でやってしまう人もいるのではないでしょうか。
僕もそういうのは今までにたくさんやってきてしまいました。
人間生きていれば色々な問題に遭遇します。
そこに重なって、ほんの少しでもやましいことがあると、(バレると気まずいので)心穏やかには過ごせないですよね。
そんなことで心を消耗するぐらいなら、毎日の悩みから解放される一つの方法として、「やましいことのある生き方」をやめて、「やましいことのない生き方をする」ことから始めるときっと良いことあると思いますよ。
「やましいこと」とはどういうことか
一言に「やましいこと」と言うと大きな出来事だけを思い浮かべてしまいがちですが、大きいものから小さいものまで色んなものが当てはまりますね。
例えば、結婚生活をしている中では浮気や不倫なんてのが大きなものに当てはまると言えるでしょう。
その他にもホントはダメなことだと思っているけど、「みんなやってるし、誰も見てないし、とりあえず誰かに迷惑かけてるわけじゃないし」という気持ちでしてしまうこと、例えばたばこのポイ捨てやゴミの放置とかもそうです。
こんなのはホント小さな出来事ですが、僕の中ではやましいことに当てはまります。
もちろん誰かに見られたからと言って(バレたと言っても)罰せられることはないでしょうけどね。
やましいことがあると、「バレたらどうしよう」で心を支配される
僕は中学生の頃、同級生の知人に万引きをお願いしてしまった過去があります。
当時は手帳を持っていることが格好良いと思っていて、どうしても手帳が欲しかったんです。
でも何千円もする手帳を買うお金はありませんでした。
欲しいのに買えない…そんな時に知人が万引きをするというのを知った僕は、それに便乗してお願いしてしまいました。
その同級生は万引きの常習犯で毎日のように万引きをしていたらしく、後日補導されました。
それがキッカケで、僕がお願いしていたことがバレて学校にも親にもひどく怒られ、最終的に親についてきてもらいお店にも謝罪に行っています。
正直20年ぐらい前の話しなので、その時の気持ちがどうだったかは明確に覚えていません。
今どれだけお金がなかったとしてもほしいものが買えなかったとしても、万引きするなんてことは100%ありませんが、今の自分の気持ちを持ちつつ、もし仮に万引きをしてうまくいった時のことを想像してみました。
欲しいものが手に入ったことになるので、一瞬はラッキーと思うかもしれません。
でもその後に出てくるのは、「バレたらヤバい…」という気持ちです。もうそれしか出てきません。
間違いなく、得したと思う事よりも「バレたらヤバい」で心を支配されてしまうと思います。
これは盗んだんじゃない、ただ借りるだけ!という話
万引きの例は犯罪なので、バレたら失うものが大きすぎるという例なので、あまりピンとこない人もいるでしょうから、もう一つお話しをします。
これもだいぶ昔の話ですが。
仕事に行く朝、天気予報を見ると晴れ。午後からは曇りの予定だけど雨は降らないという予報でした。
だから僕は、傘を持たずに仕事に行ったんです。
仕事を終えいざ外に出てみると、天気予報とは違ってザーザー雨が降っていました。
会社のビルの傘置き場には、そのビルで働く従業員の傘が何百本も置かれているのを知っています。
もちろん誰かが持ってきたものが置かれているだけで、自由に取っていって良いとされている傘ではありません。
こんな時僕がどうしたかと言うと、
- これだけたくさんの傘があるんだから、1本ぐらい使ったって誰も困らないよね
- 明日にまた傘を返せば大丈夫
- 盗んだんじゃなくて、ただ借りるだけ
- 雨が降ってるんだから仕方がない(濡れるのはイヤだし)
という気持ちで、傘を借りてしまったんです。
しかも返そうと思っていたにも関わらず、帰りの電車で置き忘れてしまい、そのまま紛失してしまいました。
駅を降りた時にはすでに雨は止んでおり、濡れることはなかったのですが…。
もしかすると僕が借りてしまった傘は、会社の誰かが置き傘にしていて、急な雨に対応出来るようにしていた傘かもしれません。
はたまた、既に退職してしまった人が過去に持ってきていたもので、ただ放置されているだけの傘だったかもしれません。
結局のところ、この傘の持ち出しが仮にバレたとしても、急に雨が降ってきてしまった事情も分かるし最終的には返却しさえすれば、「すみません」で済ませてもらえることがほとんどでしょう。
そして傘置き場には何百本もの傘が置かれているので、傘がなくて困った!という人は恐らく出ていないはずです。
「じゃあ別にいいやん」
となりますか?という話しです。
『バレたらヤバいから』の抑制力だけだと抑制出来ないことが山ほどある
さっきの万引きの話、万引きしてバレたらヤバいですよね。犯罪ですし。
浮気にしても不倫にしても同様に、バレたら家庭の崩壊の危機になるかもしれなくてヤバいでしょう。
『バレたらヤバい⇒だからやめておこう』の方程式でしか考えられないということは、物事を損得でしか考えられていない証拠です。
万引きがバレる⇒犯罪⇒社会人としての信用を失う⇒バレたらヤバすぎる!
この思考回路を持つこと自体が悪いわけじゃありません。
でも、常にこの思考回路だけで判断して、行動を抑制するかどうかを決めてしまうと、傘のような一件を抑制することが難しくなる場合があります。
ビジネスをやっていく上で、利益を上げられないムダなことを省くために損得を考えて行動することは大切ですが、ここで言っているのはビジネスではなく自分の心と行動の話です。
たばこのポイ捨てだったり、小さなゴミの放置は、道徳的に良くないと分かっていることです。
でもこういう行動を「バレたらヤバいから」を基準にして判断を任せると、バレてもヤバくないのでついつい出来心でやってしまった…ということが起こるんです。
バレたところで一瞬の人の目が気になるぐらいで指摘されるわけでも(されることもあるかもしれませんが)、自分に何か不利益があるわけじゃありませんからね。
自分の心に対してやましいことかどうか
やましいかどうかを考えるのは、全て自分の心に対して、が基準です。
道徳的にやましいことであれば、もちろん自分の心がYesとは言わないでしょうから、深く考えなくてもそんな行動はしないでしょう。
じゃあ、先程の傘の話しやポイ捨ての話。
損得やバレたらやばいかどうかを基準にするのではなく、自分の心を基準にして考えるんです。
頭で理解できることを、心でも理解することです。
- もし誰かが自分が持ってきた傘を取っている(本人は借りるつもりだったとしても)のを目撃したら…
- 目の前で誰かがポイ捨てしたのを目撃したら…
- 食べてたお菓子の袋のゴミを目の前で放置して立ち去る人がいたら…
やっぱり「あぁ…」と思ってしまいますよね。
僕は何か行動する時や話をする時、良く自分が逆だったらということを考えます。
僕が自分で「あぁ…」と思うような行動はしないように心がけ、自分の心に対してやましいと思うことはしないように決めています。
やましいことをしなくなると、物質的に損したと感じることが増えるかもしれない
僕は聖人君子のように、良いことをすれば返ってくる、悪いことをすればそれもまた自分に返ってくるみたいなことを言いたいのではありません。
何度も例に出してしまいますが、傘を借りた一件の話でいくと、借りてしまえばそれで済みます。
でももし自分の心がやましいことだと感じたため、濡れてでもそんなことはしないと行動したとしましょう。
- 風邪をひいてしまって、治すために出費がかさむかもしれない(余計にお金がかかる)
- 体調不良になって仕事を休まないといけなくなるかもしれない(給料が減る)
- 服が濡れたことで縮んで着れなくなるかもしれない(服がいたむかも)
- 洗濯できない服を着ていたらクリーニングに出さないといけずさらにお金がかかる
パッと思いついてこんなことが挙げられました。ほとんどがお金の話になりましたが…
傘を借りてしまえばチャンチャンと終わっていた話が、やましいことをしないと判断して行動したばっかりに、物質的には損するかもしれない恐れが確実に増えることになりました。
と突っ込まれそうですが、正直こういうことはメチャクチャあります。
ゴミをポイ捨てしない(まぁ当たり前なんですが)と考えたけど、周りにはゴミ箱が一切ない時。
「まぁちょっとぐらい」と思ってポイ捨てすればそれで終わりです。
バレてもバレなくても、それ以上自分になにか支障があるわけじゃありません。
この時ゴミ箱が見つからなかったら、結局ずっとそのゴミは持ち歩かないといけないわけで正直面倒なわけです。
ゴミ箱を探し回って余計な時間をムダに過ごしてしまうかもしれませんし。
と言ったように、やましいことをしなくなると物質的な面では損したと感じることが増えるかもしれません。
やましいことをしなくなることで日々の悩みから解放されるとは
万引きのようなやましいことであれば、常にバレたらヤバいという気持ちで日々生活しないといけません。
もしバレそうなことがあると、そこにまたウソを塗り重ねないといけないかもしれません。
だいぶ期間が過ぎて忘れた頃に、ふとしたことで思い出してまたドキドキハラハラしないといけなくなるかもしれません。
まず、それだけでもしんどくないですか?ってことです。
一瞬のラッキーがあったとしても、常にバレないための行動をし続けないといけないわけですから。
そう考えると、不倫や浮気も一緒でしょう。
このドキドキハラハラ感が楽しいなんて言う人もいるみたいですが、バレないために試行錯誤しないといけないのは火を見るより明らかなので、消耗するのは間違いありません。
挙げ句にはこんなことしなければよかったなんて思うかもしれません。
反省するのも大事ですが、そんなことを思い始めてまた悩んでしまうかもしれませんしね。
まず、そんなことが一切なくなります。
そして自分の心がやましいと思う事をしなくなることで、日々の悩みから解放されるのかという話しですが、これは論より証拠なので一度そういう場面に直面した時に実践してみてください。
驚く程に、自分の心が晴れやかで清々しい気持ちになります。
ホントは当たり前のことを当たり前にしているだけなのですが、物質的な面で損した!と感じるかもしれない側面があるため、当たり前な事と言いつつも続けることが難しいんです。
自分の体験でしかお伝え出来ないのが、まだまだ僕が言葉で伝えることを勉強しないといけない点ではありますが、続けようと心がけ実践してどうなったかは僕自身が良い例ではないでしょうか。
僕は今幸せだなと毎日思っています。
家に帰ると妻がおかえりと言ってくれて、お腹の中にいる赤ちゃんが無事に育っていることを感じられて、ものすごく幸せです。
良い会社に勤めているわけでもなくお金をたんまり持っているわけでもないし、物質的には至って普通かむしろ貧乏レベルかもしれません。w
それでも幸せなんです。
人は幸せのレベルが下がっただけというかもしれませんが、そんなことはありません。
そうではなく、幸せと感じられる感度がものすごく上がったんだと思います。
やましいことをしないと心に決めて行動していると、していた時に起こっていたようなことがホントに綺麗さっぱり消えていったと改めて感じています。
だから悩まないのかもしれません。
やましいことをやめれば行動も変わっていく / まとめ
最近スーパーで牛乳を2本買いました。(その他にも買ってますが)
合計金額がちょっと高いなぁと思いつつ支払いを済ませ、ふとレシートを見ると牛乳がなぜか4本買っていたことになっていたんです。
過去の僕であれば、もうこれだけで憤慨ものです。
※だいぶ過剰表現してますw
今の僕はと言うと、
こんな感じです。
さすがにお金を余分に払っていることを言わないなんてことはしなくていいです。笑
これも当たり前のことだと思いますが、恥ずかしながら昔の僕から考えるとものすごく変わりました。
とがった性格を持っていた(であろう)僕は、どんどん角がそぎ落とされて丸くなってきたというところでしょうか。
- 心がやましいと思うことはしない
- やましいことのない生き方をする
これを実践することで、あなたが日々悩んでいることが心晴れやかに解決するかもしれません。
騙されたと思ってぜひ実践してみてください。きっと心晴れやかに清々しい気持ちで日々を過ごせるはずです。