どうもー昔から運動神経だけはちょこちょこ良くて、そのおかげで自分が一番偉いと自己中パワー満開で10代を過ごしてしまったNon太(@LoveWifeLives)です。
さて、大人になればなるほど、社会に出ていけば行くほど、そして自分の肩書きが偉くなればなるほど、誰も自分のことを指摘してくれなくなるという事実を、どれほどの人が理解しているでしょうか。
社会に出て多くの人が属している組織に入ると、人間関係はどんどん希薄になり、上辺の付き合いが横行します。
それはそれで別にいいのですが、いつしか社会には仕事を発注する側と受注する側の関係のように、本来全くもってないはずの上下関係が出来上がっていることに気付きます。
たまたま大きな会社に入社して仕事を発注する側になった若い人が、小さな会社で勤めている受注する側の年上の人に対して偉そうな態度で接する、そんな構図がよくあります。
大きい会社に勤めている人が偉いとか、年上の方が人生経験してるから偉いとか、仕事が出来るから偉いとかを言いたいのではありません。
そもそも人間社会において偉い偉くないはないはずで、仕事を発注しているから側だからと言って偉いなんてことは一つもないはずです。
では、この年上の人は仕事を依頼してくる若い人の態度を指摘することが出来るでしょうか?
「そんな仕事のやり方をしていたら、いつか自分の首が締まるよ!もう少し自分のことを見直しなさい」なんて言えるでしょうか。
もしそうやって言ってくれる人がいて、言ってくれた人もちゃんとした行動を取れる人なのであれば、素敵なことですね。
でも、実際はほとんどの人がムリでしょうし、僕も以前の職場で働いていた時はムリでした。
なぜなら、その発言で自分の仕事(売上)が減ってしまう恐れがあったから。
出来るならば、そんな関係の人たちは切っていってそれでも一緒に仕事をしてくれる人たちと働いていくのが一番良いかもしれませんが、会社に属している以上そんなうまくはいきません。
例えその人のためを想って言ったことだったとしても、取引先は「自分の方が立場が上」と思っているのが大多数なわけで、そんな人に言われたら腹が立つ人の方が多いでしょう。
「何でお前に言われなあかんねん!もう仕事依頼せんぞ!」的な言葉を言われるかもしれません。
それだったら、上辺だけでも取り繕って機嫌よくやっている方が楽ですしね。
こういうことを言うと、そんなクソみたいな取引先のいる会社はさっさと辞めろ!だとか、そんな考え方しか出来ないからダメなんだ!と言う人がいますが、今回はそんなことを言いたいわけでもないし、言うつもりもありませんので議論はしません。
ただ僕が言いたいのは、相手や自分の都合やメリットを抜きにして、自分のことを本気で叱ってくれたり指摘してくれたりする存在がいるのなら、絶対に大切にした方が良い!ということです。
今日はそんなお話し。
急に不機嫌になる人いませんか?
あなたの周りにも、何の前触れもなく何もしていないのに急に不機嫌になる人がいませんか?
残念ながら、今の僕の職場にそんな人がいます。数ヶ月前に席替えをしたのですが、隣の席になった人がそうだったんです。
1分前まで機嫌良く会話していたのに、次に話しかけた時にはいきなり無視されたり、「はっ?なに?」みたいに機嫌が悪くなってるんです。
そんなことが今までに何度もありますが、不機嫌になってる原因は全くもって分かりません。
だって、現に何もアクションが起こっていないのに、ただ無言で隣で作業をしていただけだから。
何なら、朝のおはようございますの瞬間からなぜかキレていることもあります。
最初は僕のことが嫌いなのかな?と思いましたが、不機嫌になってる時は誰に対しても同じような態度を出していたのでそうではないようでした。
そんな態度を見るたびに、「この人は今までに誰にも言われてこなかったんだな…」とかわいそうな気持ちになります。
ちなみに、その人は30代後半の女性です。
不機嫌になることに気付いていないか習慣化されている
まずこの原因の一つには、間違いなく自分自身が気付けていないことが挙げられます。
イライラすることに囚われて、そんな態度を振りまいてしまうことをダメだと自覚していません。
もう一つは、「あーまたやってしまった…」なんて不機嫌になることには気付いてて、その度に自己嫌悪に陥るみたいな人もいますが、その場合はその行動を取ることが習慣化されてしまっているために出てしまう人です。
そんな人は、わかっちゃいるけど辞められない。なぜならその行動を取ることが当たり前化しているからです。
そんな態度を取る人が冒頭の話しで出したように、会社の肩書を偉いと勘違いして行動してしまう人だった場合、一番最悪ですね。
もはや仕事においては誰にも指摘されないし、ダメであることにも全く気付けません。(上司や先輩に恵まれればあるけど)
僕の会社の隣の女性は、どちらかというと気付いてはいるけど、それが完全に習慣化された行動パターンになってしまっているため、どうしてもやってしまうというタイプでした。
指摘されることは、自分のことを振り返る絶好のチャンス
話しの主旨からずれるので、自分にメリットがあるために指摘するだとか、損得を考えながら最終的には自分にメリットがあるから言ってあげる、というようなものは外してお話しします。
ただホントに相手のことを想って、むしろ相手にとって本当に大切なことに気付いてほしいから、という想いを込めた指摘というのはホントにありがたいことです。
それは自分の行動を変える、自分自身を見つめ直す絶好のチャンスだからです。
それを切実に実感した、ある一つの僕の実話をお話しします。
涙を流しながら語り合った日
今から約15年前。僕は大学に入学しました。
幸い、社交的な性格だったために友達もすぐに出来、順風満帆な大学生活が始まりました。
そんな中、残念なことは一つだけ。僕が自己中な性格だったことです。
友達だろうが関係なく、自分にとって都合が悪いとすぐに当たり散らしていました。
そう、先程話したように、急に不機嫌になることがしばしばだったんです。
集合時間に遅刻してきた人がいれば当たり散らし、自分一人だけが話に入っていけないことがあれば当たり散らし、とにかく何事につけてキレてしまうことが山ほどありました。
一方で、かなりのお調子者だったこともあり、テンションが高い時にはみんなを楽しませようと体を張って芸人のようなこともたくさんしてました。
そのお陰で、「あいつは楽しい奴」とも思ってもらえる側面がありました。
「あいつほんま楽しい奴やけど、なんであんなすぐキレるんやろうな」
恐らく、当時は陰でそんな風に言われていたこともあったはずです。
そして事件は起こりました。
すぐにキレて不機嫌になる性格も、楽しいことがあったためにだましだまし何とかやってきました。
でも友人たちはもう限界だったのでしょう。
大学生活も半年以上が過ぎ、季節は冬に差し掛かった頃。
「なぁNon太、ちょっと話があんねん」
そう言って友人の一人に呼び出されました。
友人と待ち合わせの時間と場所を決め、そこへ向かいました。
この時僕はその友人と2人で話すものかと思っていたら、そこには大学で一緒に行動しているグループ全員(5人)がいたんです。
「えっ何?何?」
僕はちょっと戸惑いながら言いました。
「とりあえず店に入って話そう」
友人はそう言って、昼間から営業している居酒屋に入っていきました。
もちろん大事な話しということだったので、食事もアルコールも頼まず、ソフトドリンクだけ注文しました。
「Non太、お前ちょっとそっちに座れ」
5人全員が神妙な面持ちです。
そしてこんな座り方になりました。
居酒屋では座敷に通されましたが、僕1人対友人5人という対面で座ることになりました。
友人「こんな風に呼び出されることに何か心当たりとかってないの?」
僕「心当たりって?」
友人「分からへんねやったら単刀直入に言うけど、お前何でそんなすぐキレんの?ほんまに異常やで?」
僕「はぁ?何やねんそれ?」
すぐにキレてしまうことに、その当時から自覚がありました。
完全に図星で心当たりのあった僕は、またいつものクセで指摘されたことに腹を立てキレそうになります。
友人は続けました。
友人「そういうとこ。またすぐ不機嫌になるやろ」
友人「そうやって自分に都合が悪くなったらすぐキレたり、自分のことしか考えへん行動をするとこやで」
友人「お前がどれだけ楽しい奴でもみんなもううんざりしてるねん!少しは反省して考えろよ!」
友人「お前がほんまは根は良い奴で友情を大事にする奴ってことは、ここにいる全員が知ってるで」
友人「でもな、お前のそういう性格がこれからも続くんやったら、俺たちはこの先ずっと一緒にはいられへんのじゃないかって思ってん」
友人「俺たちはお前とこれからもずっと友達でいたいし、楽しく過ごせたらいいなと思ってる」
友人「どうでもいい奴やったらこんな指摘はしーひんしそっと距離を置いていくだけやけど、お前とそんな関係になっていくのはイヤやったから話したよ」
友人「間違ったことを言えない関係なんてイヤやし、ちゃんと言える関係で友達でいたいと思ってる」
友人「俺らが言ってること分かる?」
僕は何も言葉を返せませんでした。
この時には不機嫌になることもキレそうな思いも全くなく、気付けば涙がとめどなく溢れていました。
ふと顔を見上げると、友人たちもみんな涙していました。
僕「…ごめん」
僕「本当に今まですみませんでした」
僕「…言ってくれてありがとう」
その場にいる僕と友人5人、真昼間の居酒屋でご飯もアルコールも一切飲まず、全員で大泣きした日になりました。
あれから15年経った今、この時に話したメンバーは全員がおじさんになったものの、今でも家族ぐるみで友情は続いています。
一言一句全て合っているわけではないですが、会話した内容は一切デフォルメしていない実話の話です。
言われた瞬間は全員から責められている気がして、辛い気持ちがなかったと言えばウソになりますが、今になれば、あの時こうやって指摘してくれてホントに良かったと心から思っています。
だって、ここまで自分の懐に入って面と向かって話し合ってくれる人なんて、大人になった今ではほとんどありませんから。
僕はこの出来事があったから、急に不機嫌になっていく性格を改善できたと思っています。
そして逆に、すぐに不機嫌になる人やキレてしまう人たちの気持ちも、少しは理解しながら付き合えるようになりました。
損得のない人間関係は一番の財産
今話した内容は一つの例に過ぎません。
でも損得なく続けられる人間関係はホントに貴重だし財産だと思います。
昔からの幼馴染や僕のように語り合えた友人がいる人は、幸せなことだと思います。
そしてふと思いました。
一番の損得のない人間関係は夫婦なんじゃないのかなと。
自分のことだけを考えて行動していると、間違いなく夫婦生活は破綻します。
もしお金や外見などにこだわって自分の欲望を満たすための結婚なんかしてしまうと、それほど愚かなことはないでしょう。
せっかくの一番の人間性を高めてくれるはずの環境を放棄してしまうことと同じだからです。
こうやって突き詰めていくと、人間性を考えさせてくれる一番最高な環境である結婚生活を手に入れられている僕は、幸せ者なんだなと思うわけです。
損得なく語り合えるのが夫婦 / まとめ
今回話した内容は、僕と友人の話しです。
では夫婦はどうかと思い返してみると、一緒に生活していく中で指摘したいことは山ほど出てくるでしょう。
- 家事・育児をしてくれない
- 家のことは放置して遊びにばっかり出かける
- 休みの日にはゴロゴロしかしない
言い出せばキリがありませんが、指摘したいと挙げる項目のほとんどが、ただ自分のメリットにつながる指摘にしかなっていないことに気付きます。
表面上は「あなたのことを想って」と言いますが、結局は「俺は(私は)これだけやってるんだから、あなたも同じようにして」というのばかりです。
それでは何も変化しないし損得の感情が常に付きまといます。
常々言っていますが、習慣の考え方は恐ろしく自分の行動にどんどん影響していきます。
すると、夫婦の中でも損得の人間関係が前面に出てきてしまい、いつしか得の関係性が薄れていってしまった時に、離れ離れの道を選んでしまう人も少なくありません。
本来、夫婦の人間関係に損得なんてあるはずがありません。
「相手が幸せに感じていることが自分の幸せへとつながる」
その想いに気付くことが出来るかどうかだけで行動は大きく変わります。現に僕はそう気付き始めて、180度行動は変わっていきましたから。
その想いの中での指摘であれば、きっと二人が幸せになっていくための指摘であって、損得など微塵もなく、ありがたいことだなと心から感じられる夫婦になっていってるはずです。
最後には夫婦の話しになりましたが、あなたの身近で心から向き合って大切なことに気付かせてくれる人がいるのであれば、友人であれぱーとなーであれ、絶対に大切にした方が良いなと僕は思います。
バカじゃないの?
友達に警察の取り調べみたいな真似されてまで自分を改めろとか言われてなんで直すの?
そいつらいないと死ぬの?
捨ててしまえばいいじゃん。
まぁ人それぞれの考え方ですからね。
僕はそれで良かったということなだけなので(^^)
「ただ自分のメリットにつながる指摘にしかなっていないこと」自分のメリットにしかってのは変じゃない?
家事・育児をさせて楽したいって主張だけだと
その人だけの利益に見えるけど
未来を考えましょう
家事や育児をさせたら相手は体験する事で
何かに気づいたり優しくなるかもしれない
結果的にお互いの利益になります
そうかもしれませんね。
わざわざコメント頂きありがとうございます!