子どもが生まれた時のことを思い出すと、無事に生まれてきてくれたことに感謝の想いが溢れてきます。
ただただ無事に生まれてきてくれればそれでいい。
きっと自分の両親も、僕や兄弟が生まれてきた時は、同じような想いでいたことでしょう。
無事に生まれてくれれば。そして健康で育ってくれれば、と。
子供時代を経て大人になった僕は、妻と出会い結婚し、子どもを授かり子育てをする立場になりました。
育ててもらった側から育てる側に。
「この子はどんな子に育っていくのだろう」
そう未来に想いを馳せると、ワクワクとドキドキが止まりません。
勉強が出来る子になるのかな?
運動が出来る子になるのかな?
趣味に没頭する子になるのかな?
こういったことをワクワクしながら見守りたいわけですが、成長していく過程で僕が子どもに願うことは、
健康に無事に、そして愛に溢れて勇気を持って進んでいける人に育ってほしい。
ということだけです。
自由に伸び伸びと育ってくれれば何もいうことはありません。
そんなことを改めて考えていると、自分の両親も僕が子供の頃はこんな風に、同じように想っていてくれたんだろうなぁ、としみじみ感慨深くなりました。
そして子育てを体験すればするほど、より一層自分を育ててくれた親への偉大なる尊敬と感謝の気持ちが出てくるわけで、自然と親孝行をもっとしたいと考えるようになりました。
まだ独身で自由に自分のことだけを考えてやってきていた頃でも、社会に出て働くようになり色々な挫折や苦しいことを経験し、親への感謝の気持ちは出てきていたものの、その当時考えていた親孝行となると、
- 立派に働いているところを見せよう
- 旅行に連れて行ってあげたい
- 美味しいものをご馳走したい
といったことです。
もちろん、してもらってばかりの子ども時代だったわけですから、恩返しとして親へ色んなお返しをすることは大変すばらしいものだと思います。
実際僕も、少しお金に余裕があった頃にホテルのレストランに連れて行ったこともあります。
でも、子を持つ立場になり子育てをする中で、自分自身が子どもだった頃、今僕が子どもに感じているような気持ちが両親にもあったんだろうなぁと考えると、ちょっと違う感覚が出てきました。
それは「もし自分の子どもが自分のためにしてくれて嬉しいことはなんだろう」と考えたら必然的に出てきたもので、「愛であふれた毎日を過ごしてくれていること」でした。
これが最高の親孝行であるという、今日はそんなお話しです。
大金を稼げるようになった!よりもどれだけ勉強ができた!よりも、愛する人に囲まれ毎日が幸せという報告がどれだけ嬉しいか
自分で言うのは何ですが、僕には心の底から出会えてよかったと思える妻というパートナーがいてくれて、そんなふうに思える人との間に子どもも生まれました。
僕が仕事から帰ってきたら、「おかえり~」と2人が笑顔で迎えてくれて、一緒にご飯が食べられて、一緒にお風呂に入って、一緒に遊んで、一緒に絵本を読んで、みんなで寝る。
「おはよう」とみんなで起きて、僕は仕事に行き、妻と子どもとしばし離れて、また仕事が終わって帰ってきたら迎えてくれる。
一言で表現するなら、これが幸せというんでしょうか。
自分の場合と、自分の子どもの場合で考えたことしか想像できませんが、もし自分の子どもが今の僕のような生活をしてくれていると思うと、僕はこの上ない喜びで満たされると思います。
なぜなら、自分がちゃんと幸せだなぁと感じられる毎日を過ごせているからです。
お金を稼げることよりも、勉強がたくさんできることよりも、愛する人に囲まれている、そんな姿を見せられることは、最大の親孝行だと僕は思っています。
子どもの幸せを願わない親はいないわけで
自分のことはさておき、親というのは子どもの幸せを一番に考えるものです。
もちろん僕もそうですが、こんな感情は、やはり現在進行形で体験しているからこそ気付けたものだと言えます。
例え自分が我慢するようなことがあっても、子どもが笑顔になるならば、そういってやるのが親というものです。
そんな風にして育っていった子どもが、幸せでいてくれている姿を見られるって、親冥利に尽きると言っても過言ではないんじゃないでしょうか。
これは今、僕自身が親目線で感じていることではありますが、極論「子どもの幸せを願わない親はいない」んです。
その幸せになってほしいと思っている子どもが、心の底から笑って幸せだと感じられている姿が見られれば、それで十分なんですよね。
親孝行の第一歩は「感謝」以外にありえない
「愛ある生き方」とタイトルに書きましたが、親孝行の第一歩は「感謝」以外にありえません。
様々な事情で、感謝なんかできるか!と思ってしまう人がいるかもしれませんが、例えどんな事情があったにせよ、この世に生んでもらえただけで感謝以外ないんです。
もし、今こうやってこの文章が読めているのであれば、育ててもらった証でもあるはずです。
僕はまだ親になって2年という短い期間ですが、子育てを通して「こんなにも見返りを求めないことがこの世にあるのか」と気付かされました。
子どものあのくったくのない笑顔を見られるだけで、我慢していたことも寝不足で辛いこともしんどくて苦しいことも、一発で吹き飛ぶんです。
きっと僕の両親も、寝不足が続いていようが大変なことはおくびにも出さず、ワガママ言い放題だった僕のお世話をしてくれました。
そんなに好きじゃなかったはずのカレーライスも、僕が好きだからといって何度も何度も作ってくれました。
子どもを持つ立場になって、ようやく少し深いところまで感じ取れるようになった気がします。
そしてまた、子どもにこれだけのことをしたからと言って、親は見返りを求めることをしません。
与えて与えて与えきりです。
この想いに気付かずして、心豊かに愛ある生き方は出来ません。
親孝行への第一歩は、自分が今ここまで生きていられていること、すなわち育ててもらったことへの感謝以外にありえません。
まずはおもうところから始めてみるといいかもしれない|まとめ
何十年も生きていると、人間には無意識でしみついた習慣というものがあります。
親に対するわがままで横柄で、何でも許されるような態度を取ってしまう人がもしいたとするなら、それは長年の中で染みついてしまった習慣と言えるでしょう。
そんな人が、「よしっ明日から感謝の気持ちを表現するぞ!」と言っても、なかなかできないものです。
急にダイエットをしようと思い立ち、筋トレを始めたはいいけど数日で辞めて三日坊主になってしまうのと同じようなものです。
また、面と向かってありがとうなんて小っ恥ずかしいし、いまさらやってられるか!みたいな人も多い気がします。
じゃあどうするか。
そんな時は、まずは思うところから始めてみるといいんじゃないかと思います。
行動をすることが大事とよく言われますが、長年続けてきた習慣からアクションを起こすことはなかなか難しかったりします。
思うことが出来てくると、少しずつそれを表現できるようになるかもしれませんし、はたまた実生活につながっていくかもしれません。
そして点と点が繋がって、幸せな家庭を作ることにつながるかもしれません。
どこがどう結びついていくかは分かりませんが、きっと素敵な親孝行へと繋がっていくものだと思います。
最後に
この記事は、自分自身がしっかりとこれからも実践していけるようにと、やるべきことや考えをまとめたものです。
決して自分が出来ているから皆さんもしましょう!といった類のものではありませんので。
少しでもみなさんの心の中に、きらりと光るものが芽生えるキッカケの一つになれば幸いです。
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