1週間前、予定日の数日前に我が家に赤ちゃんが来てくれました。
「何も心配することはないから大丈夫」
そう思いつつ、いやそう言い聞かせつつも、想像を越える出来事の連続。
人間の体から人間が出てくる不思議。
母体が呼吸することで酸素が赤ちゃんに届く不思議。
産まれる数十秒前まで一度も肺呼吸をしたことがなかったのに、産まれたら即座に肺呼吸ができるようになる不思議。
たった1つの細胞だったものが、頭から足まで一つの体として形作られ、目も複雑な構造で見えるようになり、髪の毛から爪まで出来ている不思議。
もはや人の考えでは到底たどり着けないほどの不思議と未知に溢れた出産。
僕は妻の隣で全ての光景を目に焼き付けて来た。
「陣痛が始まったかも…」で病院に行った時、まだ翌日までに産まれるかは分からないと診断を受けた。
陣痛の間隔はまだ10分に一度程度の波で、子宮口もそこまで開いていないからという理由。
妻は里帰り出産で名古屋にいて僕は大阪。時刻は夜の22時を過ぎたあたりで、終電の時間が迫ってくる。
もしこの電車に乗らなければ、夜中に陣痛が進んでお産が始まるとなった時に立ち会うことは出来ない。
翌日も僕は仕事の予定だった。でも終電の新幹線に飛び乗った。
新幹線の中で上司に連絡し、子供が産まれるかもしれないという理由で翌日の仕事は休ませてもらう許可を得た。
結果的には全てがうまくいってくれた。
隣にいてくれるだけで心強かったと言ってくれた妻。本当に夜通し妻の隣にいられて良かった。
何も出来なかったけど、それでも一緒に頑張った気持ちになれた。
明日の仕事があってどうしても出産に立ち会えない…そんな人もいると思う。
強引に無理にでも仕事を休んで立ち会う選択をすれば、大事な商談を逃して出世街道から外れる、もしくは1発でクビになるなんてこともあるかもしれない…。
自分がやらなきゃ店が潰れてしまう、それぐらいに仕事を抱えていて、行きたいけど行けない…そうやって悩んでいる人もいるかもしれない。
仕事とプライベートのバランスは難しく、誰もが仕事よりも家族の方が大事だと思っているはずなのに、生きていくためにお金を稼がなきゃいけないために、仕事を優先してしまう気持ちも分かる。
そんな状況があることは十分なくらい分かった上で伝えたいこと。
それは、
会社で何と言われようと何が何でも、出産には立ち会って自分の奥さんの隣で見届けなさい!
ということ。
それが赤ちゃんを産む奥さんのための、パパになる自分にとっての当たり前のこと。
実際に出産に立ち会って、そんな想いで一杯になった。
僕が経験した立ち会い出産を少し語ろうと思う。
子供を産む当事者である女性が、どうしても夫に立ち会ってほしくないと思う人がいることも知っています。
そんな風に思う人の考えを変えたいわけではなく、出産に立ち会って壮絶な現場を経験し、母にもなる妻の強さを見られて良かった。
僕個人の意見ではありますが、そういったことが少しでも伝わればいいなと思っているだけです。
新幹線に飛び乗り、鈍行を乗り継ぎ妻のいる病院へ駆けつけた。時刻は夜の0時を過ぎた頃。
病院に到着した時点で10分間隔で来ていたはずの陣痛が数分間隔で襲って来ていた。
僕は助産師さんに言われたように、陣痛の痛みが和らぐようにお尻を持ち上げることと、腰と背中のマッサージをしてあげられるのみ。
子宮口が3センチほどしか開いていないということで、まだ分娩台に上がるまでにはもう少しかかると。
子宮口は開いてなくとも、陣痛の痛みは妻を襲う。
1時間ほどして、「まだもう少しかかるけど分娩室に移動しとく?」と助産師さんに言われ移動。
「声が出ると、入院部屋の隣の部屋の人に気を使うでしょ?」と、助産師さんの心遣いだった。
もしかしたら隣部屋からは声がうるさいと苦情が入っていたのかもしれない。
午前2時、時が経つにつれ陣痛の痛みは激しさを増すものの、まだ間隔は短くならない。
診察してもらうと子宮口は4センチ。10センチになるまで、イキむことはしないという。
それから陣痛に耐える繰り返しの3時間が経過した午前5時、僕が病院に到着してから5時間が経った。
再度診察すると子宮口は7センチ。1時間に1センチ程子宮口は開いていっている。
あともう少し、僕はそう思った。
助産師さんからも、「少しずつ開いてるからね、あともう少しだからね」と声をかけられる。
この間も妻の陣痛の痛みは計り知れず、歯を食いしばり大声をあげて痛みに耐える姿は見るに耐えなかった。
人が痛みに耐えているのを見て何も出来ないもどかしさに耐えるよりも、自分が痛みに苦しみながら耐える方が断然良い。出来るなら代わりたいと本気で思っていた。
「大丈夫」と言葉を口にしても、何が大丈夫なのか分からない。
「頑張れ」も何か違う。
そう思った僕は、心の中で赤ちゃんに語り掛けた。
「もうこっちは準備出来ているよ。そろそろパパとママと対面しよう」と。
そして妻には心の中で「大丈夫、頑張れ!」と呟き、ただただ無言で陣痛が来るたびにお尻を支え、背中をマッサージするだけだった。
午前7時、子宮口はいまだ7センチ。さっき診察した時からは2時間が経つというのに子宮口は大きくなっていない。
破水も始まらないため、人工的に破水させることになった。
助産師さんの手にはハサミ。程なくして膜を破いて破水させたとのこと。
また、痛みに耐えるために色々なところに力が入ってしまい、太ももの筋肉などにも力が入ってしまう妻。
「そうなるとなかなか子宮口も開きにくいから、あまりリキまないようにね」
そう助産師さんに言われた。
でも僕はその言葉に重ねて、「リラックスしてね」とは到底言えなかった。
「男には想像できない痛みがやって来ているという時に、どうやってリラックスして凌げと言うんだ?」
僕はまた「頑張って耐えるんだよ」と背中をマッサージしながら、お尻を持ち上げながら、心の中でつぶやき続けた。
この頃に、ふとある考えが頭の中をよぎった。
どうして人は、想像を絶するようなことが起こると分かっているにも関わらず、「子供を産む」という選択をするのだろう?
例え産まれた後も、赤ちゃんを育てていくことには、時に自分を犠牲にすることもたくさんあるし、苦労がたくさんあるというのに子供を産む選択をするのだろう?
どうしてこれ程の痛みに耐えた先にしか出産は出来ないのだろう?
こんな苦しい過程を経なくても、子育てはちゃんとするのに…。
どうしてなんだろう。疑問はすぐには解決しなかった。
午前8時、子宮口がまた少し開き始めた。8センチ、9センチ、後もう少しだと言われる。
最初にもう少しと言われてからすでに3時間が経過。
それでもまだ本格的な出産のための準備には取り掛からない。
陣痛の痛みは激しくなっているものの、間隔が短くならないからだ。
妻の体力はかなり消耗し、陣痛の痛みが和らいだ時に時折眠りに落ちる。
寝たと思いきや2分後、痛みが再びやって来たのと共に目覚め耐える。寄せては返す波の様に一定ではないもののその繰り返し。
午前9時、助産師さんがコロコロ入れ替わる。
夜通し何度も気にかけて診に来てくれた心強い助産師さんがいなくなる。
代わりに入って来た人は、どうしても少しイキんでしまう妻に、「まだ子宮口が開いてないからイキんじゃダメ。そんなことしてたらいつまで経っても子宮口が開いていかないよ」
そんな言い方をする。
もう少し勇気付ける言い方をしてやってくれ。とは口にできず、心の中でまた呟く。
僕の疑問はいまだになくならない。
どうしてこんなに苦しんだ先にしか赤ちゃんに出会えない仕組みにしたんだろうか。
それから10分程は経っただろうか。
妻のお腹には赤ちゃんの心拍を確認できるような機械が取り付けられ、その数値を常にチェックしていた。
だいたい150前後あれば良かったのだろう。
その数値が140…130…100と落ち始めた。この時に部屋に助産師はいなかった。
ついには70になり、機械が緊急を知らせるエラー音が鳴り響く。
それでも助産師は駆け付けてこない。
僕は急いで呼び出しコールのボタンを押した。
後で聞いた話だが、僕らが出産に奮闘していた日、他にも3人も4人も同様に頑張って出産に臨んでいた人がいたからだったようだ。
この赤ちゃんの心拍数を測る機械は、お腹にしっかり設置されていなければ、うまく数値を測ることは出来ない。
それまでにも2回ほど、妻が寝ている体制を変えた時に固定していたはずの機械がずれてしまい、数値をうまく取得できずにエラー音がなったことがあった。
その度に助産師さんを呼び出し、キチッと機械を付け直してもらっていた。
今回もそんな気持ちだったんだろう。
助産師さんは特段焦ることなくやってきた。
機械をいじってお腹に密着させる。
数値が上昇しない。
ついには機械の数字は70を切って60になった。
いくら機械をお腹に密着させても数値が良くならない。
助産師が電話をかける。
「心拍が上がらない!至急応援に来てください!」
恐らく他の助産師さんたちが駆けつけてくれるまでは数十秒だったのだろう。でも僕にはとんでもなく長く感じた。
「何が起こってるんだ?早く来てくれ!」僕は心の中で呟く。
妻の手を握り、ここで初めて「大丈夫」という言葉を口に出した。
もちろん大丈夫かどうかなんて分かっていない。
少しでも妻の不安がなくなればいいと、ただそれだけだった。
数十秒で3人もの助産師がすっ飛んで来てくれた。
妻には酸素マスクが付けられ、いきなり分娩の準備が始まった。
夜通しいてくれた助産師さんはまだ帰っておらず、また駆けつけてきてくれた。
「よぉ~く頑張ったね。赤ちゃんも頑張ってるから、最後にもう一仕事頑張るんだよ」
妻は無言で、でもしっかりとしたまなざしでうなづいていた。
この言葉がどれだけ胸に響いたかは、想像に難くない。
事実妻に後で聞いても、この助産師さんの言葉には勇気づけられたそうだ。
素晴らしい仕事だ。助産師って。
酸素マスクを取り付け深呼吸するように言われる。
それをしばらくすることで、赤ちゃんの心拍はまた無事に120〜150ほどまで戻った。
母体がしっかりと空気を取り込むことで、胎盤を通して赤ちゃんには酸素が行き届く。
不思議だ…。
寝転ぶ仕様になっていた分娩台が、赤ちゃんを取り出せるような形に姿を変えていく。
その頃に病院の院長でもある男の先生が入ってきた。
手袋をはめ、分娩台の前に立つ。
イキむタイミングは陣痛の痛みがやってきた時に合わせてイキむらしいのだが、妻の陣痛の間隔はまだそこまで頻繁に起こってはいなかった。
それでも痛みがやってくる時にイキんだ。
もちろんすぐには赤ちゃんは生まれてこない。
すると男の先生は、
「まだもう少しかかるなぁ、診察をしてくる」
といって出ていってしまった。
「なんでやねん!」とはまた言えず、ただただ見守る。
「赤ちゃんが下におりてこないからもう少しかかる」
そう言って、助産師までいなくなった。
部屋には僕と妻の2人。
また陣痛に耐える時間に逆戻り。
痛みが一瞬和らいだ時、助産師が周りにいないことに気付いた妻は恐ろしく不安がった。
「誰もいないの?」
「いや、物を取りに行っただけやからすぐ戻ってくるよ」
もちろんウソだ。
すぐ戻ってくるかは分からなかったが、妻が不安にならないようにと考えたら勝手にそんな言葉が出た。
幸いにも、助産師さんはすぐに戻ってきた。
これも後で聞いた話だが、病院は1年に3回ぐらい分娩の時期が重なって定員オーバーな程にバタバタになることがあるという。
その今年1発目のタイミングが、僕らが出産した時と重なったらしい。
気付けば、夜通しいてくれた助産師さんがまた来てくれていた。
他の分娩台で出産に立ち会っていて、そこで無事に生まれたから来てくれたのだろう。
赤ちゃんが下におりてこないからという理由で、また陣痛の痛みに耐える時間に戻り、イキまないように言われていた。
陣痛の間隔はまだ弱い。それでも想像を絶する痛みはやってくる。
僕はそれさえも隣で見守ることしかできない。無力さに泣けてくる。
時折赤ちゃんの心拍が70台にまで落ちる事があり、その度に深呼吸をと言われていた。
赤ちゃんも必死で出てこようと頑張っているのだ。
もうどれぐらいの時間が経ったか分からない。そうすると、赤ちゃんが少しずつ降りてきてくれたらしい。
もう一度イキんでいくことになった。
大きく息を吸い込んで、息を止めて踏ん張る。
「今はまだ頭が少しこのぐらい見えてるくらいだから、もう少し見えてきたら一気に出てくるよ」と、親指と人差し指を5センチぐらい拡げてみせた。
その言葉で本当にあともう少しを実感した。
「今一番狭いところを通るところだから、赤ちゃんも頑張ってるよ」
「頭が出たら早いから、出てくるまで頑張るんだよ」
そう言って勇気づけてくれた。
恐らくまた出産が近くなってきたのだろう。男の先生が戻ってきた。
妻は呼吸を落ち着け、痛みのピークが来る頃を見計らってイキむ。
頭はのぞけるがまだ出てこない。
先生がハサミを持ち出し赤ちゃんが出てくるところを切っていた(会陰切開)
ハサミで切られた時は痛かったらしいが、陣痛の痛みの方が何倍もひどく、そこまで気にならなかったようだ。
時刻は朝の10時を過ぎた、妻の体力はかなり消耗している。
もう陣痛が始まってから12時間が過ぎていた。
陣痛に耐えるだけの時は、どこがゴールか分からないままに砂漠の中を走り続けていた目をしていたが、あと少しを実感しているからか、この時は消耗しているものの妻の姿には力強い生命力を感じた。
陣痛のピークに合わせてイキむ。
頭が数センチ見える程で出てこない。
先生が声をかけ、もう一度頑張ろうという。
イキむ。
まだ出てこない。
少し落ち着こうということで小休止。
そんなことが5回10回と繰り返された。
そしてまたイキむ。
ついに「赤ちゃんが出てきそうだから頑張って」と言われる。
間髪いれずにもう一度踏ん張れと言われる。
あと少し、もう少し踏ん張れ!
赤ちゃんの頭がついに出た。
イキむのをやめて!と言われ、妻は体の力を抜く。
もう大丈夫だと思った矢先、頭が出てきたのにするんと体が出てこない。
妻の頭側に立っていた僕には、赤ちゃんの頭が下を向いて出ているのが見えている。
血を見るのが苦手な僕のはずなのに、そんなことは微塵も思わない。
「頑張るんだぞ!本当にあと少しだ!」
僕は心の中で赤ちゃんに声をかける。
それでもなかなか赤ちゃんの体が出てこない。
急きょもう一度イキんでと言われる。
妻はイキむ。
赤ちゃんを押し出すように先生はお腹をグッと押さえる。
僕はただただ心の中で、妻と赤ちゃんの無事を祈るだけ。本当に何も出来ず無力だ。
それでも出てこない。
「何やってるんだ。そんな回すんじゃなくて、前に引っ張れ!」
男の先生が声を発する。
助産師さんは無言で赤ちゃんを引っ張る。
妻はイキむ。
出た。
ついに産まれた。
赤ちゃんの肌は全身赤紫だ。
泣かない。
産まれたら泣くんじゃないのか?
そう思いながら、助産師さんたちは冷静に赤ちゃんの顔にまとわりついた血を拭っていた。
すると次の瞬間、のどに詰まったものを吐き出したような「ブホッ」という声とともにギャンギャン鳴き声が聞こえた。
泣いてくれた。
僕と妻は目を合わせて手を握り合った。
僕は涙をこらえきれずに泣いた。妻の前でこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
妻の目に涙はなかった。
安堵の表情を浮かべ、ホッとしたような気が抜けたような、でも真っ直ぐに生まれたばかりの我が子を見ていた。
母親の顔だ。
助産師さんは赤ちゃんをすぐに抱っこさせてくれた。
妻の胸の上にポンッと乗せてくれる。
かわいい。
赤紫の顔をしながら、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている我が子だ。
先生からもおっきい!と言われたほどに、3,600gを超えるビッグベイビーが生まれた。
いつしか妻の胸の上で安堵の表情に変わっていた赤ちゃんの頭を優しくなでた。
「良く頑張りました」
その一言は妻に向けて、そして生まれたばかりの息子へと向けた言葉。
これが「生きるということ」なのかと痛感した。
こうして初めての立ち会い出産は無事に乗り越えられた。
あとがき / 立ち会い出産を経験して
立ち会い出産をすることは、妻からすれば普段見せたくないような一面をさらけ出すことになるかもしれません。
大声を出すこともあるだろうし、血が噴き出たり、血管ムキムキな表情をしたり。
それを夫にみられるのはどうしても無理だという人もいることでしょう。
夫側からすれば、どこか他人事で獣みたいでキモイだとか、異性として見れなくなるからうんぬんの意見があったりします。
また、女性側が立ち会われるのはどうしてもイヤだと言っているのに、その意思を無視して勝手に立ち会おうとしたり。またその逆もしかり。
我が家の場合は、僕は立ち会いたいという考えがあり、妻も立ち会ってそばにいてほしいと思ってくれていた考えが根底にあります。
結局はちゃんとお互いに話し合って臨むのが一番だとは思います。
夫婦の形は人それぞれなので、立ち会い出産をしないことを否定するつもりも1ミリもありません。
ただ、夫婦がいなければ子供は誕生しないわけで、なのに産まれてくる時だけは妻側一人でやってっというのに、ちょっとした違和感を感じるだけです。
立ち会いたくないという夫側の一方的な考えは他人事過ぎると感じるし、産むのは自分なんだから私の意見を全て尊重すべきという妻側の考えも、それはちょっと自分よがりすぎやしないかと。
間に合わなかったとか、そういう状況があるのは仕方ないと思いますが、個人的な理由だけで出産に一緒にのぞまない選択をするのは残念だなと思うということです。
どうしてこんなに出産が大変なのか?という疑問に対しては明確に答えは出なかったけど、「これが生きること」であることだけは分かりました。
こうやってまた一つ、親が自分を産んでくれた時の気持ちにまで考えが及ぶようになったし、その想いはまた生まれた子供へと繋がっていくんだなと。
こういう想いに気付かせるためには、大変で必死な道のりを越えなきゃ気付かせられないと、あえて作ってくれたものなのかもしれませんね。
出産に立ち会うことが出来て、僕は本当に良かったと思っています。
血が嫌い、苦手という人もいますが僕自身もそうです、。でもそういう話は超越した視点でいられるのが立ち会い出産でしたよ。
無事に生まれてきてくれた息子へ
ようこそ!
愛のある世界を君にこれからたくさん紹介しよう!
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