どうもNon太(@LoveWifeLives)です。
最近面白い話を聞いたので、一つご紹介したいと思います。
それは目的・希望・手段について、あなたはどれを重視してるんですか?ということ。
誰もが目的を持って行動し、その目的を達成するために手段を選択しているはずなのに、 あまりにも自己都合の希望を言いすぎているというお話しです。
目的と手段がはっきりしていれば希望に惑わされない
例えば盲腸になったとします。
お腹が痛くて痛くて仕方がなかったので、病院に行って「お腹が痛くなっている原因を診断してください」とお医者さんに尋ねました。
診断の結果、医師から「あなたは盲腸です。手術をすれば治ります」と言われました。 (※現在では抗生物質の点滴等でも炎症を抑えて治す方法があるようですね。再発の可能性はあるみたいですが、ここでは、その話は抜きにして考えてみます)
さてここで、あなたは手術をしますか?それとも手術はイヤだ!違う方法で治してくれ!と言いますか?
一般的な感覚なら、盲腸にかかわらず何もない健康な状態で手術を希望する人なんていないはず。
願わくば誰だって手術なんてしたくありません。怖いですし。
それでも盲腸の場合はほとんどの人が手術を選びますよね。何があっても胃薬で治してくれだとか、何もしないまま放置というのはありえません。
それはなぜでしょう?
それは一刻も早くこの痛みから解放されたいと思っているわけで、手術をすれば治ることが分かっているからです。
ここで言う目的と希望と手段を見てみると、目的は『「お腹が痛い(盲腸)」を治すこと』です。
そして希望は「出来れば手術はしたくないから、それ以外の方法で治してほしい」です。
さらに手段はと言うと、「手術」ということです。
手術をしない(希望)でおけば、盲腸を治すこと(目的)は絶対に達成されないんです。
でも手術をすれば(手段)、まず間違いなく盲腸を治すことは出来るんです。
手段と目的がはっきりしているから、出来れば手術はしたくないけど…という希望を持っていたとしても、 それに惑わされて希望を押し通そうとしたり手段を選択しないということにはなりません。
目的と手段の意識が甘いと希望に惑わされる
では仕事でお金を稼ぐとなった場合にどうなるか。ほとんどの人が希望に惑わされ、目的は達成できないままに終わります。
例えばブログでお金を稼げるということが世間で注目されて、実際に自分でも稼げるんじゃないか?とブログを始めた場合です。
目的は「お金を稼ぐこと」、希望は「出来るだけしんどくない方法で、お金を使うことなく、リスクなく稼ぎたい」、 そして手段は「ブログを書くこと」とします。
世の中の先人たちは、「ブログを始めて人生が変わった!」、「ブログを書けばお金が稼げた」と言っているのも目にしています。
いざブログを始めようとすると、独自ドメイン?、ワードプレス?、サーバー? 全くもって初心者には分からない言葉ばかりでつまずきます。
ブログを始めるためにはまず学びながら進まないといけないという理解から始まります。
ブログを始めたらお金を稼げるって言ったのに、メチャクチャややこしいやん! という気になりながらも、何とかブログを開設するまでには至ったとします。
次は1ヶ月、2ヶ月頑張ってブログを書いてみました。ほとんどの人が「全然自分の記事が読まれへん!」となります。
ブログを始めれば稼げるって言ってたのに、全然稼がれへんやん!という気持ちが先行し、気付けば「想像してた以上にめっちゃしんどいし!どこが稼げるねん!」と自分の「楽して稼げると思ってたのに」という希望が気持を占領し始めます。
希望は「出来るだけしんどくない方法で、お金を使うことなく、リスクなく稼ぎたい」ですから、お金を使うことなくリスクはなく始められたけど、しんどくないわけじゃないということで、最初の頃は自分の希望とは相反することになるわけです。
そしていつしか辞めてしまうわけです。
手段に対する自己意識が甘いため、自分の希望に心を奪われてしまい、手段を継続出来ず肝心の目的を達成することが出来ない結果になります。
どこに重きを置くのかで大きく変わる
盲腸にしてもブログを書くことにして、行動を起こす時は目的と希望と手段のどこに重きを置くのかでその後の行動が大きく変わります。
先程の盲腸の場合を例にとると、希望は手術をしないでお腹の痛みを取ることでした。
希望を選択すればお腹の痛みは取れません。
ここでの希望と目的のどちらに重きを置いているかというと目的です。
目的であるお腹の痛みを取り去ることへの意識が強いため、希望は捨てて手術という手段をちゃんと選びます。
ブログの例でいえば、自分の希望である「出来るだけしんどくない方法で、お金を使うことなく、リスクなく稼ぎたい」が強いため、目的を見失い手段に対する不満が出てくるわけです。
人間の頭とココロのバランスは非常に不可思議なもので、頭ではわかってるつもりでも体が言うことを聞かないようなことがたくさんあります。
その逆で頭が理解するより先に体が反応することもあるでしょう。
そして人が持つ希望のほとんどは、自分に都合の良い楽で言い訳じみた内容ばかりです。
目的に強い意識を持っていないと、すぐに自分の希望に支配されて目的にも手段にも不満を感じてしまうということを自覚しないといけません。
希望と手段は相反しやすい
結局のところ、目的を達成するにあたって自分が望んでいる希望とそのための手段というのは相反しやすいものです。
「怖いから、痛いのがイヤだから手術はしたくない」の反対は、「手術をすれば盲腸は治る」
「毎日ブログを更新するのはしんどい、ブログを始めるだけで稼げるようになりたい」の反対は、「毎日学んで毎日記事を書いて継続すれば稼げるようになる」です。
自分の希望がどれだけ自己都合なものであるかに気付けますよね。
希望だけを言えば言うほど、目的からは遠ざかっていくんです。
まずこのことに気付かないといけません。
目的を選ぶのか、希望を優先するのか
あなたが取ったその行動は、なんの目的のためだったのでしょうか。
目的を達成するために手段は何でもいいということを言いたいわけではありません。
目的を達成しようと手段があるにも関わらず、その手段が自分の希望とは違うからって、それはあまりにも自己都合すぎはしないか?ということです。
目的を第一に求めているのか、あわよくば程度の目的で自分の希望を優先するのか。そこをはっきりしておかないと、うまくいかないことばかりでしょう。
ダイエットをしようと思った時に、大食いをやめるのもイヤ、栄養にバランスの良い食事がどんなのかを調べるのも面倒くさい、そして運動はしんどいからしたくない、でも痩せたいんだ。
そんな希望を持って押し通した場合、果たしてうまくいくことがあるか?ということです。
目的達成を第一に選ぶのであれば、正しい手段を見つけることは第一に、それが見つかったなら少なくとも自分の希望は封印して、その正しい手段を実践する必要があることに気付かないといけません。
目的と希望と手段 / まとめ
久しぶりに熱いお医者さんに出会いました。
そこで盲腸の話しなどを交えて、目的と希望と手段について話してくれたんです。
それが妙にしっくりきたので、自分への備忘録として残しておきたくなりました。
意識では目的を持ってるはずなのに、頭では希望ばっかり。それではいけないことに改めて気付かされました。
目的を達成するための手段であり、その手段が間違っていない場合、そこに自分の希望を介入させる必要はないということに気付けたなら…
後はやるだけですね。
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