どうもNon太(@LoveWifeLives)です。
あなたは夢を持っている人をどう思いますか?
「プロ野球選手になりたい!」、「オリンピックに出たい!」、「弁護士になりたい!」、はたまた「独立して仕事しようと思う」、「会社を起こす!」、「自分のお店を持つ!」等なんでもいいですが、そんな風に近くの人が夢を語ってきて頑張っている人がいた場合、なんて言葉を掛けてあげますか?
他人事ですから「頑張れば」と言ってあげますか? それとも「辞めとけ!」と否定しますか?
もちろん他人ですから、その人が成功しようが失敗しようが自分には何も影響はないでしょうから、どっちでもいいんでしょうけど。
僕が仕事を辞めてフリーでやっていこうかなと言った時、まわりの大半の人は2つの声をかけてくれる人に分かれました。
「そんなブラック企業は辞めて正解! でもフリーでやるよりも、ちゃんとした就職先に入った方がいいんじゃない?」という言葉と、「30超えてからの再就職は大変やでー!フリーとか自分でやるとかは辞めといた方がいいで!」という言葉。
ブラック企業だったからこその前者の回答と、そんなブラック企業は辞めた方が良いかもしれんけど、今のように働けるところは少ないよー!というニュアンスを込めた否定的な声が多かったわけです。
同じような環境にいた人が否定してくるのは、自分と同じような境遇から他人が抜け出していくのを止めたいからと良く言われます。
サラリーマン同士ならそんなに収入にも差が出ず同じような生活のままだけど、脱サラして自身で仕事をするということは、リスクもあるけどサラリーマンの自分よりも収入も生活水準も上がる可能性もあがるわけですから、そういうのを無意識に止めたくなるらしいです。
僕自身、今になって色々と否定されることも慣れたしなんとも思わなくなってるけど、昔の自分が同じ境遇でまわりから否定ばかりされてたら、もしかすると打ちのめされてたかもしれないと思ったりするわけです。
さらに僕自身言葉と行動が伴っている人に対しては、一切否定せず応援する自分になっていて、まさしく過去の自分が否定されず応援をされ続けていたからなんだと気付きました。
全てにおいて否定するよりも、応援出来る人でいたいという気持ちも込めて自分の身の上話とともにお話ししてみたいと思います。
高い受験目標を笑わなかった高校の先生
僕の高校は、頭の良さでいうと偏差値40台の高校でした。世間でいう頭の良さという点では全くもっていい高校ではありません。
高校生活は部活動にいそしみながら勉学にも励んでいた僕は、学校では常に1番2番を争うほどに成績が良かったんです。偏差値40台の高校だったので知れてますが。
そして3年生になり進学をどうするかという話しになった時、よくある三者面談でのこと。
当時の学力テストの志望大学の判定はE判定でしたが、僕は関西では名の通った大学(関関同立)に受験しようと思っていることを話しました。
担任の先生は校内で学力が良かったとしてもE判定のままでは少し厳しいんじゃないか?という見解でした。
この時に色々否定されましたが僕は強い意志だけは持っていたので、聞く耳持たず頑張るつもりでいました。
三者面談が終わった後日、担任ではない英語を担当していた先生に僕は呼ばれたんです。
※僕が目指していた大学は当時の偏差値が64ぐらいあり、神戸大学は国立大学で当時の偏差値は65、6ぐらいありました。
そんな風に言われた記憶があります。
この先生の一言がなくても恐らく僕は自分が志望した大学を受験しただろうなと思います。でも間違いなく励まされたのも間違いありません。
そしてその当時は毎日8時間10時間と受験勉強に励んでいたのも事実です。
自分がはたから見れば無謀とも思える目標に向かっている時に、本心で「頑張れ」と応援されることは勇気に繋がることを学びました。
ムチャクチャだと思うようなことでも見守っていた母
大学に無事に合格したはいいものの、1年で中退。
中退後はフリーターとしてダラダラ過ごしていた僕は、その当時付き合っていた彼女から同棲しようと言われました。
ちょうど大阪で働いていた(奈良に住んでいた)ので交通費も浮く!と思った僕は快諾。
その時、家を出る時にした母親との会話です。
実家で必要最低限の服や荷物を詰め込み、家を出ていく準備が整い家を出ていく寸前。それまでは母親には何も言ってませんでした。
家を出る時に伝えたことはたったこれだけ。それだけで明日から家に帰ってこないってわけが分かりませんよね。
本当は母親は僕のことをメチャクチャ気にしていたし色々と質問したかったと思います。
どこに住むのか?家はどうやって見つけたのか?仕事は大丈夫なのか?と。
当時の僕はそういうことを聞かれるのがイヤだったので、とにかく僕の意見を尊重してくれて、何も言わず見守ってくれていました。
家を出てから数ヶ月、僕はネットワークビジネスというものにのめり込みます。
堂々と胸を張ってやっているつもりだったので、親にも展示会のような販売会に来てもらったことがあります。
何ヶ月も連絡していないのに、そういう時だけ連絡したにも関わらず来てくれた母親。
ネットワークビジネスと聞くだけだと、巷ではあまり良くない噂も耳にするでしょう。母親が知っていたかどうかはわかりませんが。
そんな時でさえも僕の健康だけ気遣ってくれて、せっかく来たからと一つ商品を買ってくれもしました。
この時にも僕のことを批判するわけでもなく、「頑張るものがあるのは良い」というような事だけを言って帰って行きました。
当時は特に何も思いませんでしたが、振り返ってみると影ながらに信じ応援し続けてくれていたことが分かります。
言葉にするだけが応援じゃない。見守ることも愛情であることを学びました。
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批判や暴言ばかりの日々だったブラック企業
そんな僕も就職し一度は憧れたイベント業界の会社で勤めることになりました。
確かに面白いことや新たな体験もありましたが、日々ののしられ罵倒される日々。
どれだけ一生懸命にやったとしても、「やっていることは二流」、「お前らは俺(社長)のアシスタント業務しかしていない」、「給料上げてほしいって言う前に俺の立場になって考えてみろ!」とまぁ、言葉自体は間違いではなかったとしても、なかなか重たい言葉を受ける毎日を過ごしてました。
そして同僚同士でも陰口ばかり、口を開ければ悪口ばかりの日々。いつしか「働くために生きる」、「働くために寝る」ような生活をしていました。
もちろんその当時は自分を振り返る余裕なんてなかったので、自分自身も暴言を吐いたり人の批判ばっかりしていた気がします。
まわりも同じようにしていたので、そこに違和感がないんです。
でもずっと漠然と思っていたことがありました。
「この人たちはどうしたいんだろう?」、「そこまでウソついてごまかしてうまくいったからって、終わった後にどう思ってるんだろう」と。
そう思い始めると、やはりその会社で勤めるのは限界が来てついには退職することになりました。
職場を離れたばかりの頃は「あんなクソ会社は辞めて良かった」という気持ちがありましたが、俯瞰的に考えると、今ここで文章にしているようなことを考えられるキッカケになったのはブラック企業で勤めたことがあったからだと思うようになりました。
人の批判や暴言ばかりしていても何も生まないことを学びました。
気付けば出会った人は応援する自分になっていた
今の自分は過去の自分が形成しています。もちろん今の自分がこれからの自分を形作っていきます。
会社を辞めてから、会う人は少なくなったものの、それでも色々な人に出会います。
「何かないかなと探してるんやけど、おいしい話しがあったら誘ってな」と、自分では何もするつもりはないけどただ便乗したい人。
海外との架け橋になるために日々奮闘している人。
安定と称してサラリーマンが一番良いと称する人。
全国に支店のある営業会社で一位の成績を得た人。
その人にはその人なりの考えがあり、自分とは違う考えの人もたくさんいます。
その人たちが根底に考えていることに触れてからですが、頑張ろうとしている人には自然と応援している自分がいました。
もちろん「言動と行動が伴った人に対しては」です。
綺麗事だけを並べる。表では良いことを言ってても、裏では全く行動が伴っていない。こういう人は何となく雰囲気でわかるものですし、もちろん相手にしません。
今まで自分は批判されるだけじゃなく応援されていたことに気付いた僕は、無意識的に人を応援出来る人になっていました。
今からでも変わっていけるということ
子供の成長にとって親の影響は計り知れないほどあります。
僕は幸い今まで話してきたような家庭環境にいましたので、温かく見守られてきた結果、このような人間に育ちました。
ここまで読んでくれた人のために、「愛情コップ」という話しをしておきます。
愛情コップなんて聞いたことがないでしょう。ホントは、人は誰もが生まれながらにして愛情を貯めるためのコップを持っています。
コップの大きさは人それぞれであり、ほとんどの人はそのコップを持っていること自体知りません。
だから毎日を過ごしていく中でこのコップに愛情が貯まっていっているにも関わらず、存在自体知らないので貯まっていることにも気付くことが出来ないんです。
愛情なんて受けたことがないというのであれば、今まで生きてきて一度も人の親切を受けたことがないという人はいないでしょう。
学校の授業中、消しゴムがなくなって隣の席の子が貸してくれた。これも親切です。
兄弟がいて、子供の頃たくさんお菓子を食べたくてお兄ちゃんが譲ってくれた。これも愛情です。
そんな出来事が起こるたびに、愛情コップには愛情が貯まっていくんです。
するとふとした時に気付くことがあります。
「俺はこんなに人から優しくされていたんだ」、「私はこんなにも愛されていたのね」と。
愛情コップがいっぱいになりそこから愛情が溢れ出した時、初めて人はそういう気持ちに気付くことが出来るんです。
そして愛情コップの中には愛情や人の優しさがたくさん詰まっていたことにもやっと気づくことが出来ます。
愛情コップに気付くためには、愛情をたくさんもらってたくさん貯めて溢れ出てこないとなかなか気付くことが出来ません。
愛情コップがいっぱいになるかどうか、一番最初に影響するのは親からの影響が大きいというわけです。
親からの愛情をたくさん受けて育った人は、知らず知らずの内に多くの愛情を貯めている分溢れやすく、それだけ愛情コップの存在にも気付きやすいということです。
これが親が子供の成長に大きく影響する所以でもあります。
愛情コップに気付きたくさんの人から親切や愛情をもらっていると気付いた人は、大きく変わっていける可能性があるわけです。
もちろん溢れないと気付けないわけではありません。
周りを見渡せば愛情コップにも、たくさんの人が応援してくれていることにも気付けるはずです。
そういう事に気付くたびに人は少しずつ変化していけるわけですから、今からでも変わっていくのに遅いということはありません。
応援出来る人でいたい / まとめ
長くなりましたが、自分の過去の出来事にあてはめてお話ししてみました。
自分よりうまくいっている人を見て、「良いなぁ」とうらやましく思うことや「俺にも恩恵を受けさせろ」と思ういやしい気持ちはすぐ出てきても、純粋に応援する気持ちを出すのは容易ではありません。
それでもうまくいったいっていないに関わらず、僕は見守られ応援され続けてきたことに気付いたので、今までもこれから出会った人とも常に応援し高め合っていける関係でいたいと思うわけです。
批判ばかりじゃなくて応援出来る自分でい続けたいですね。
少しでもそんな風に思える人が増えるといいなと思います。