我が家の息子(以下:ニョロ助)は1歳11ヶ月で断乳しました。
この記事を書いている現時点で、断乳してからは早3ヶ月経ちましたが、思い返すと今でもグッと胸にこみあげてくる気持ちがあります。
出来るならば子どもが自発的に自分からお乳とバイバイという流れにしてあげたかったというのが、お乳をあげていない隣で見ていた父親目線の本心です。
とは言え、お乳を毎回あげている張本人である妻の体調や、肉体的な面でも限界を迎えているということで、2歳の誕生日を迎える前に断乳することにしました。
結果、決行した夜はなかなか大変だったものの、無事に1日で卒業することができています。
断乳や卒乳をどのようにすればいいか迷っている人もたくさんいるでしょう。
個人的にもあの日のことは忘れられない出来事です。
なのでこの記事では、
- 断乳までの事前準備としてどのようなことをしたのか
- 実際に実行した具体的な方法や前後の子どもとのやり取り
- 父親・母親目線でみた色々な想い
を記録として残しておきたいと思います。
この記事の前半は、断乳を実行する前と後の記録、後半には断乳に関して思うことや個人的な感想などをまとめています。
断乳前の事前準備
断乳を実行に移すまでの間に何か準備をしたかというと、特別なものはなにもしていません。
ただ、夫婦で「どのように実行に移していくか?」についてはじっくりと話し合いました。
お乳をあげているのはママである妻ですが、だからといって妻任せに一人でやってもらってうまくいくものじゃありませんから。
断乳を実行する日程を決める
今日の明日でじゃあ断乳!というのは難しいので、じっくり日程は相談しました。
断乳がうまくいったと思いきや、万が一復活してしまったら…
うまくいったようにみえて数週間ぐらいかかることがあるかもしれない…
そういったことも想定しつつ、あまり支障のない時期を選びました。
実際実行した日程はというと、断乳の夜になかなか寝られない等々、睡眠不足になることも考え、翌日が休みである土曜日の夜からです。
大体日程を決めた日から3週間ぐらいは先の日程で準備しました。
本人にバイバイできることを確認
日程を決めたら、それからはニョロ助に「お乳バイバイできる?」ということを伝えてきました。
なんの知らせもないままに、いきなり大好きなお乳を取り上げられたら…。
逆の立場で自分が好きなものを何も言わずに取り上げられたらショックすぎるので、ちゃんとニョロ助にも事前に伝えるようにしました。
カレンダーの断乳当日の日付に印をつけ、「この日がお乳バイバイだけど、ニョロ助は頑張れる?」といったように。
もちろん当時は1歳11ヶ月だったので、明確に分かってなかった部分もあるとは思いますが、しまいにはニョロ助が自分でカレンダーを指さして、「この日がお乳バイバイだよ~」というぐらいにはなってたので、何となくでも伝わっていたと思います。
へのへのもへじを書いて断乳することに
日程も決まり、ニョロ助への伝達も済めば、後は「どういう方法で断乳を実行するか」です。
ネット上にあがっている情報を読んでいると、「絆創膏を貼ってけがをしたからもう飲めない」というやり方があるなんてのも読みました。
ケガが治ったころには、もうお乳が卒業できているという作戦らしいです。
この方法に関しての我が家の見解は、「もしケガが治ったということで、またお乳飲みたい!」と言ってきたときに、うまく説明がつかないということからNGとしました。
「お乳はもう卒業だよ」ということを説明するために、「へのへのもへじさんになったよ」という方が効果的かなという判断から、お乳にへのへのもへじを書いて断乳実行することに。
へのへのもへじの方が効果的というのは、個人的にというだけで明確な根拠などはありません。
最終的にはうまくいったので良かったですが、へのへのもへじが書かれたお乳を見せたときの「いやぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”」という、断末魔のように泣いたニョロ助は今も忘れられません。
といった具合にこのあたりはしっかりとどうするかを考えてから、当日を迎えました。
断乳当日の出来事
最後のお乳タイム
実行当日である土曜日の朝、毎朝起きてお乳を飲むのが日課だったので、これが最後ということでニョロ助にお乳をあげました。
お乳タイムって、やっぱり子どもにとってはもちろん、母親にとっても特別な時間なんですよね。
僕もそのタイミングは起きてましたが、「最後のお乳タイム」ということで寝室にこもり、妻とニョロ助の2人タイムを楽しんでもらいました。
しばらく待っていると、ニョロ助が寝室にきて、「パパ、お乳バイバイしたよ」と言ってやってきました。
その時のニョロ助の表情は、満足そうな顔をしていたように思いますが、お乳バイバイの意味は良く分かっていなかったのかもしれません。
昼間は普通通りに出かけて過ごす
以前は、ことあるごとに精神安定剤のようにお乳を欲しがっていましたが、断乳ちょっと前から昼間にお乳をほしがることはほとんどなくなっていました。
なので、実行当日の昼間もほしがることはありませんでした。
昼間は普段通りに過ごそうと、ちょうど4月で桜が綺麗な時期だったので万博記念公園に花見がてらいきました。
外にいた分お昼寝タイムも特にお乳をほしがることなくスムーズに寝てくれて、ホッと胸をなでおろす僕たちでした。
あとは夜の実行を待つのみです。
断乳を実行した日の夜
当時の我が家のニョロ助の寝かしつけは、「おそらの絵本」というスマホを使って天井に絵本を映写できるグッズがあり、それを一通り見た後にお乳タイムで眠るというのが慣例でした。
▼おそらの絵本はこれです。
時刻は22時。
普段ならもう眠くなってもおかしくないのに、この日なかなか寝ようとしません。
というのも、僕たちの方から「お乳を飲もう」という誘導をしなかったから。
それでも「ねんねしよっか」と何度も誘ってようやく寝室に移動できました。
まずは恒例のおそらの絵本を見ながら、僕の腕の中で寝ころんでいます。
22時半を過ぎても、まだおそらの絵本をやめません。
3つのストーリーしか持っていないので、ある話は3回も4回もリピートで見ました。
ここでも「お乳」というフレーズを僕たちから出すことはなかったので、いつもより時間がかかったのかもしれません。
と思っていると、その時は突然やってきました。
僕:「ニョロ助、そろそろねんねにしよっか」
もう何度目かわからないぐらいの誘いです。
ニ:「いやーまだ見る!!!」
僕:「また明日も見られるから、今日はゴロンして寝よ♪」
二:「いや!お乳~」
・・・ついにこの言葉が出てきました。
妻はずっと隣で見守ってくれています。
僕:「もうお乳はバイバイしたよね」
ニ:「いやー!飲むーーーーー!」
はいそうですか、といくこともなく、泣きながら妻の胸に飛び込みました。
ニ:「お乳飲むーーー!」
まだ泣きながら叫んでいます。
このままただ並行線を続けるのは難しいので、お乳はへのへのもへじさんになったと妻から言葉で伝えてみることに。
妻:「ニョロちゃん、ママのお乳はね、へのへのもへじさんになったんだよ」
「えっどういうこと?」といった感じはありましたが、「いやー飲むー!」の連呼は続いて変わりません。
言葉で伝えるだけじゃ進まないと判断した僕は、妻の方を見てみました。
すると妻と目が合い、無言でお互いにうなずきました。へのへのもへじを出そうという合図です。
妻:「ニョロちゃん、もうママのお乳はへのへのもへじさんになったんだよ。見てごらん、ほら」
お乳を見た瞬間、ニョロ助は一瞬泣き止みました。
お乳をジーッと見つめ、何が何だか分からない様子にも見えます。
と思ったのもつかの間、「いやぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”ぁ”」と布団に顔を突っ伏して大泣きしました。
子どもの我慢する姿を見ることが、こんなにも苦しいとは想像もつきませんでしたが、あの泣き声とうずくまったニョロ助の姿は、一生忘れることはないでしょう。
でも、だからと言ってここでお乳をあげてしまったら、今後ニョロ助も「大泣きすればもらえる」と勘違いしてしまうだろうと、親である僕たちも必死で気合いで我慢しました。
僕の心の中は、「妻の体の限界が来てしまっているから楽になってほしい」という感情と、「まだ2歳にもならない子どもをどうしてここまで我慢させなきゃならないのだろう」という感情がぶつかりあっていました。
そんな僕の葛藤をよそに、ニョロ助はまだ「お乳~」と泣いています。
僕が抱っこして落ち着かせようとしても体をのけぞり拒否。ベッドに突っ伏します。
あらかじめ用意していたお茶を飲ませようとするも拒否。
大体20分ぐらいは、こんなことを繰り返していたでしょうか。顔も涙でぐちゃぐちゃ、息もハァハァあがっています。
それでも繰り返している内に泣き疲れてきたのか、少し落ち着いてなきやんだ瞬間があったので、マグのストローを口にいれ、お茶を飲ませて喉の渇きは回避させました。
お茶を飲んだら少し気持ちが落ち着いたのか、妻の方へいき、大好きなゆりかごのうたを歌うと言い出しました。
それからは妻とギュッとハグしながら、僕は後ろから頭をなでながら、3人でゆりかごのうたを歌いはじめました。
ヒックヒックなりながら歌っているニョロ助の声に耳を傾けながら、心の中で「頑張って乗り越えるんだぞ!」と思いながら。
それから30分ぐらいが経過したでしょうか。
疲れたのか、諦めたのか、再び「お乳~」ということもないまま夢の世界に入っていきました。
お乳を飲みながら寝落ちした普段なら、毎回夜中の2時頃には目覚めてお乳を欲しがっていたのに、この日は朝まで起きませんでした。
「断乳したら朝まで寝る」とは聞いていましたが、初日からいきなり体験できるなんて不思議なもんですね。
断乳翌日の様子
これまでは、朝起きたら大体がいの一番にお乳を飲むというのが習慣です。
でも、断乳翌日目覚めてリビングに移動して、そのままマグのお茶を差し出すとスムーズに飲み、お乳が欲しいと言ってくることはありませんでした。
妻とは、「結局こんなあっけなく卒乳になるんかな?」と話し合うほどに、あっけらかんとしています。
顔は昨晩に泣いたことでボンボンにはれてましたが。w
お昼ごろ、僕たち2人がどういう反応をするんだろう?という顔をしながら、ニョロ助が「お乳飲む~」と言ってきました。
一瞬はギョッとしましたが、昨夜のあの「欲しくて欲しくてたまらない」という表情ではなく、ちょっと悪い顔をしたような、いたずらっ子の顔をして言ってきているのが分かったので、「ニョロ助は頑張ってバイバイしたもんね~」と返しました。
すると、「ふ~ん」という感じだったので、1歳11ヶ月の子どもなりに卒業を認識していたのでしょう。
逆に驚いたのは、妻の方です。
この出来事のあと、妻は言ってきました。
妻:「やっぱり我慢してるのかな? 私もやっぱりお乳をあげなくなるの淋しいから、夜だけ断乳してお昼はあげてもいいかなって思ってきた」
普段、出来る限り妻が〇〇したいということはいいよ~という僕ですが、これだけは「絶対にダメ!」と制止しました。
ニョロ助はまだやめたいと言っていないのに、体調面を考慮したとはいえ「夫婦だけで勝手に」決めた断乳です。
言わばこっちの都合で大泣きさせながらも卒業へ持っていったのに、「やっぱりいきなりなくなるのは淋しいから」という再度のこっちの都合で、「お昼だけは飲んでいい」という変更を加えることはダメだと、理解してもらいました。
ニョロ助をたくさんの愛情で包んでくれていたお乳タイムで、父親には割って入れない母子の強いつながりみたいなのもあったでしょう。
だからこそ、妻も苦渋の想いでの断乳だったのは十分わかっていたので、妻の想いを制止することは心苦しかった一面もありますが、ニョロ助への混乱を防ぐために耐えてもらいました。
後日談、妻からは「あの時とめてくれてよかった」とのことでした。
それからのニョロ助はというと、断乳を実行した夜のような大泣きや叫びは一度もなく、そのままスムーズに卒乳となりました。
断乳や卒乳は妻の考えを尊重し実行することでうまくいく|まとめ
生まれたばかりの瞬間から赤ちゃんが表現できるのは、お乳を飲みたいという意思表示だけです。
しゃべることはもちろん何も食べられないのに、母親のお乳だけは飲めるという不思議。
ニョロ助にとってもそれだけ大切なお乳だったので、個人的な想いだけで言うならば、どうせいつか卒業するのであれば本人が納得するまで飲んで卒業してくれたら、と思っていました。
が、それはただ僕の個人の話です。
母乳をあげている本人ではないので、お乳を飲ませているときの幸せを感じられないのはあるにしても、その裏にある苦労や大変さも当事者とは程遠い理解しかないかもしれません。
母乳をあげることは、ただ寝不足になるだけじゃありません。
猫背のような姿勢を保たないといけない関係で、肩も腰もバッキバキです。
そんなのを1年11ヶ月も続けてくれました。
でも、そんな苦労が全て吹き飛ぶのが、一生懸命にそして幸せそうにお乳を飲む子どもの姿なんだそうです。
そして妻は、誰よりもニョロ助への愛情で溢れた関わり方をしてくれていた人なわけで、そんな妻が断乳したいというのであれば、素直に従うのが吉だと判断しました。
結果、
夜は寝てくれるようになるし(←これはガチで起きなくなります)、
お出かけ時にお乳タイムを心配する必要がなくなるし、
妻の体調も幾分か快方に向かいました。
ニョロ助も未練があるようなこともなく、無事に育ってくれています。
お乳をあげているのは妻で、男の僕が介入できない部分ではありましたが、断乳というところで関わることができました。
仕事の関係やお乳が出る出ないの関係で、断乳や卒乳が早い時期の人もいるとは思いますが、我が家に関しては2歳近くまでお乳タイムを作ることができて、良かったなという感想です。
あっという間に光の速さで成長し進んでいく育児の思い出の1ページとして、しっかりと刻み込まれました。
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