こんにちは。Non太です。
僕は小学校の頃、夢はプロ野球選手!と口にするほどに、野球に没頭する野球少年でした。
そしてかけっこにおいても、クラスの同学年ではいつも1番。少年野球あるあるだと思いますが、絵に描いたように足が速いから打順は1番でした。
足がそれなりに速くていつも1番だったこともあってか昔は目立ちたがり屋、競争はいつも1位じゃないとイヤ!という問題児。懐かしい話しですが。
そして、毎年小学校で開かれる運動会の他に、僕が住んでいた町には、全町民が参加できる町民体育大会というものがありました。
住んでいた町の住所は、【●●町●●1丁目2-3】といったように町の後にも地名が入り、その後に1丁目、2丁目と続く形式。なので、体育大会が開催された時はその町の後の住所で分けて、対抗戦を行うというもの。
そして体育大会の花形と言えばやはりリレーですよね。このリレーは、その地区ごとに代表走者を選出し、小学校1年生~6年生、さらには中学の部、高校の部、一般の部男女として1名ずつ選ばれ、1チーム合計10名がバトンを受け継いでいくというルールでした。
ちょうど足が速かった僕は小学校1年生の時から住んでいる町の代表として(と言いつつ、他に立候補してる人もそんなにいなかったし、他の学年で選ばれてる人はイヤイヤな人もいたけど…)、小学校5年生までは毎年リレーに出場していました。
そして小学校6年生になった時も、もちろん走る気満々でいたのですが、町民体育大会が開催される日程と野球の大切な試合の初日が重なってしまうという事態が起こりました。
さらに僕は少年野球のチームでもキャプテンをしていたため、その頃はキャプテンのいないチームなんてどうかしてるぜ!ぐらいに責任感はあったので、非常に悩みました。
リレーは1年生から出場してて僕の中でも一大イベント、だから何としてでも出場したい。しかも今年は小学校生活最後やし!という想いと、リレーに出たいから野球の試合には行けません、なんて言うキャプテンってどうよ?ありえへんやん!という想い。
この2つの想いが小学六年生の心の中で葛藤していました。
前置きが長くなりましたが、こういう状況の時でも、親は僕に勝手に決めつけたり押し付けた選択はさせなかったというお話しでそれに感謝しているというお話しです。
今でもこのとこは鮮明に覚えているし、僕が仕事をしていく上でのスタイルに多大な影響を与えているので、ご紹介したいと思います。
悩んでいることを母親に打ち明けた
僕はまだ悩みを親にはちゃんと話せる子供だったので良かったですが、この体育大会のリレーに出たい気持ちと野球の試合に出た方が良いよねという気持ちで悩んでいるということを母親に相談しました。
というか、体育大会の回覧板が回ってきて、日程が重なっていることに気付いたのは母親なので、母親からどうする?と聞かれていました。
数日たっても明確な回答が出来なかったので、どっちに行ったらいいかわからないことを母親に打ち明けました。
母親とはこんな感じでやり取りがありました。
このやり取りでハッとなれば良かったのですが、子供の僕はそういうわけではなく、僕の心は完全にリレーで決まっていたかとそうでもありませんでした。まだウジウジと悩んでいたのです。
父親に相談してみた
『えっ、今から?』と思わないわけなく、心臓が出そうな程バクバクし始めました。というのも、監督は普段は優しかったものの練習では何度も大声を張り上げて怒ることもしばしばあったからです。
でもこの時の僕は、監督に言いに行かないと気持ちよくリレーには出られないという想いでいっぱいだったので、勇気を出して監督の家に向かうのでした。
ワケを話した監督の言葉に胸が響いた
想いを話すために重い足をペダルに乗せ、自転車で監督の家に向かいました。
”ピンポーン”
インターフォンが夜の静寂に響き渡ります。
監督の奥さんが初めは対応してくれました。子供が夜の20時に一人で来たことに少し驚いていましたが、監督と話しがしたいと言うと、すぐに呼んでくれました。
もうこの時はホントに心臓が飛び出しそうなぐらいに緊張していたし、足も震えていました。
監督が出てきたので、玄関先に監督は腰かけ、僕は立ったまま話しをしました。
なかなか話しが切り出せなかったのですが、勇気を出してちゃんと話すしかない!と決断し監督に伝えました。
それで、小学1年生の時からそのリレーにはずっと出てて、今年が6年生で最後になるので、リレーにどうしても出たいと思ったのでお願いに来ました。
小学生の言葉の伝え方では上記で精一杯でしょう。そして、この一言を伝え終わる前に僕は大泣きしていました。
恐らく勇気を出して監督の前まで来て話しをしたこと、野球に迷惑をかけるのは承知でリレーに出たいと言っている責任感などから大泣きしていたんだと思います。
そんな僕を優しく見つめるように監督はこう言ってくれました。
でもな、チームメイトも試合で勝つために練習してきてて、お前がいないとわかったらどう思う?勝てるかなーと不安になるやろ。
それでも俺らはお前が試合にいなくても頑張って勝って、来週の試合にNon太が来れるように全力を尽くす。Non太はみんなを困らせた分、その次の試合では人一倍頑張るようにするんやぞ。
お前はお前で、出場するからにはその体育大会のリレー種目で優勝すること!それがリレーに出る条件や。頑張れるか?
もちろんはい!と答えました。監督の言葉に子供心ながらジンジンしながら帰りの途につきました。
素敵な大人に恵まれた環境
家の前に着くと父親が外に出て待っていました。その顔を見たとたん、また僕は大泣きしたのを覚えています。
大人になった今、後日談で母親とこの話しをした時に言っていました。
『お父さんはあんたが出て行ってから、ちゃんと言えるかなーってすごい心配してたのよ。居ても立っても居られないから、って言って、まだ出て行って数分しかたってないから、まだまだ帰ってこないっていうのに、勇気出して伝えにいったあいつ(僕のこと)を外で迎えてやりたい。って言って外でずっと待ってたのよ』何て言ってました。
身内なのでひいき目で見てるように思われますが、良い両親に育てられ、所属していた野球チームでも素敵な大人に恵まれて育っていたんだなぁとしみじみ感じます。
少しの勇気と行動を起こす事のまとめ
少年時代の記憶をほとんどなぜか覚えていない僕が、ここまで鮮明に覚えているのはこの出来事ぐらい。もちろん他にも思い出せる事はありますが。
この出来事をちゃんと文章にして振り返ると、僕のビジネススタイルの礎になっていることが分かりました。
- やりたいことが出てきたは、しっかりしたやりたい理由を考える。
- その理由がただのエゴではないと分かった時、ちゃんと話しをして向き合うこと。そうすれば大体は理解してもらえる。
- やりたいことがしっかりとした自分の倫理観に基づくもので、ちゃんと向き合って説明をしながらも理解してもらえないのであれば、その人に無理に理解を求める必要はない。一定の距離を置けばよい。
- 少しの勇気と行動を持てば悩みなんて大体吹き飛んでいくこと
- 第一に、自分の心に素直に行動すること。
もちろんこれだけが全てというわけじゃないですが、こういったことも感じながら仕事はやっていたなという感じです。
行動を起こさずに後悔することは多々あります。もちろん行動を起こした結果、さらに悪い方向に進んでいってしまい、行動を起こさなければ良かったと後悔することもあるでしょう。
でも、行動を起こした後の結果、行動しなければこんなことにはならなかったのに、という後悔の場合、行動を起こしたという経験と知識が必ず手に入るんです。
僕のこの小学生の件で言うと、結果的には全てうまくいきました。だから後悔はもちろんゼロです。
さらに、相手のことも考え、それでも自分の心にあったものをしっかりと伝えることで、人は理解してもらえるという経験と知識も得られました。
もしうまくいかなかったとしても、あの伝え方が悪かったのか?、こう考えておけば理解してもらえたのかな?など、反省と次への行動につなげられるんです。
ということで、行動は起こした方が良いよ!ということと、そのキッカケ作りをしてくれた親に感謝というお話しでした。
でも、やっぱり子供の頃の経験が大人への意識に影響するのは間違いないんだろうなと思わずにはいられませんね。