誤解や疑いが晴れたなら、疑われたことを成敗するんじゃなく笑って許せる心を持っていたい

先日こんなことがありました。

会社の昼休憩、いつもはおにぎりを持参している僕ですが、その日は持って行ってなかったのでコンビニで昼食を済ますことに。

会社の近くにあるロー〇ンに入り、パンを一つとペットボトル1本を購入し退店。

昼ご飯はいつも近くの公園で食べているので、そのまま公園に移動し食べました。

おにぎりの日にごみが出るのはサランラップぐらい。なので普段は毎回家に持ち帰ってました。

 

この日はパンやペットボトルのゴミが出たので捨てようと思ったものの、なぜか公園にゴミ箱が見当たらず、仕方ないのでコンビニで捨てることに。

戻ったはいいものの、このお店は入口付近にゴミ箱を設置していないタイプのコンビニでした。

最近多いですよね。店内にしかゴミ箱を設置していないコンビニ。

ゴミを捨てるためだけに入店するのは少し気が引けましたが、実際にそのお店で買ったものを捨てるだけなので問題ないと思いゴミ箱へポイッと。

 

捨てられるのは店内で買ったものだけなんですけど!

とは言われませんでしたが、店員さんの目がそう言っているように感じました。

おいおい勝手に持ち込んだゴミ捨てんなよー。しかもそれだけのために入ってくるなよ!」と。

 

こっちからすれば、「この店で買った商品を捨てただけやのに何が悪いねん?」っていう話ではありますが、こういうちょっとした誤解が生みだす濡れ衣のような出来事って日常生活していると良くあります。

Non太
いや、それは僕じゃないのだが…

みたいなこと。

 

これぐらいのことなら笑って許せる人の方が多いのかもしれませんが、こういうことで腹が立ってしまう人がいるのも事実。

僕自身腹は立たなかったとしても、自分に非がないことと分かっていれば、誤解をした人間に対してひたすら間違ってることを認めさせて成敗したくなる気質を過去には持ってました。

でも、そういう生き方って違うなぁと感じ、年々穏やかになりつつ今に至ります。

誤解から怒られることや疑いの目を向けられることって良くありますが、その濡れ衣が解決して結果的に何も問題ないのであれば、それを成敗するんじゃなくて笑って許せる心を常に持ちたいなって話しです。

誤解していたことを認めさせて謝罪させ、成敗したところで果たしてスッキリするのか?

もし今回のコンビニの例のような場面で、僕が店員に自分が正しいことを伝えたところで、店員が疑いの目を持ったことが誤解であったことを認めさせたところで、そして仮に不快な想いにさせたんだから謝罪ぐらいしろよとさせたところで…

果たしてスッキリするのでしょうか?

 

多分しないですよね。

疑われたことで腹が立ってしまうなら、謝らせたところでそのイライラが全て解消するわけじゃないと思うんです。

 

というか、多分僕自身が過去にはそんな感覚を持ってた気がします。

理解させて当たり前。

謝罪させるのも当たり前。

だからと言ってなにかを得られるわけじゃない。

いや、何か逆にモヤモヤして、成敗しようとした自分の気分もスッキリしなければ、相手も余計にモヤモヤさせる。

・・・

じゃあ、笑って許せる心を持つのが一番良いやんと思うに至ったわけです。

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許す心は素晴らしいスキル

ケンカをしてしまった時、なかなか仲直りしずらいことがあります。

それがもし、自分には全く非がなくて相手が一方的に怒っている場合ならなおさら、「許すも何も一方的に相手が怒っているだけだから」と言って、自分から折れる必要もないしなんて考えてしまうと、余計に仲直りに時間がかかることもあります。

そんな時、もし笑って「もうそろそろ気分直して仲良くしよ」と言えたなら、どれほど相手が素直になりやすいでしょうか。

一方的に怒っていた場合、自分が一方的に怒ってしまったことを当の本人は大体分かっています。

僕がそうでしたから。w

でも、いまいち素直になれないわけです。


僕は小さい頃、何かと問題児でした。

色んなことで親に怒られ、手のかかる子供だったと自分が子供を持った今ならものすごく良く分かります。

ダメなことをした時には母親に良く怒られたものですが、その後にはすぐ何もなかったかのように接してくれていました。

悪いことはしっかり注意されましたが、それが終われば終了で、たくさんたくさん許してもらいました。

 

怒られて反省しなさいと無理くりさせられても、自発的に気付いて反省出来ないままでは、結局のところ形だけの反省しか出来ません。

ばっちり怒られた後、許してもらえたからこそ、僕は自分で気付き反省していけたんだと思うんです。

笑顔で受け止めてくれて、「なぜこの人はこんなことをしたのに許してくれたのだろう」という気持ちが芽生えたら、きっとその後には自分の行いがいけなかったことに気付き、自分で反省していけるはずです。

人を許すスキルというのは、相手に対してとんでもない効果を与えることを、今更ながら痛感しています。

コンビニの例で言うならこんな感じだろうか

先のコンビニの例で、もし「買ったもの以外ゴミは捨てないでください!」と言われたとして、

Non太
はぁ?さっきここで買ったやつを捨ててるだけやけど?何か悪いことしてんのか?

極端な例ですが。w

こんな風に、誤解だったことを成敗するかのように言うのと、

 

Non太
これさっき買ったやつなんですけど、それやったら捨てても大丈夫ですか?(ニコッ)

と言った場合。

どちらも出てくる言葉は「(勘違いして)申し訳ありません」でしょうが、明らかに受け取り方は違いますよね。

 

前者の場合、「分かるように捨てろや!」と心の声が出ているかもしれません。

後者の場合、「あぁ~しまったー!これからはしっかり見てから声かけるようにしよう!」という心の声が出てくるかもしれません。

もしかしたら「あぁ~優しい人でラッキーやった~」で終わるかもしれませんが。w

笑って許せる穏やかな心を持っていたい / まとめ

今話してきたことは、全て僕の頭の中の話です。コンビニの話は実話ですが。

社会がこうだったら良いな」ということと、「自分はこうありたいな」ということ、そして「そう心がけようと努めている」ということです。

 

ちょっと誤解を受けて指摘されたからと言って、間違ってることをここぞとばかりに責め立てるんじゃなくて、誤解であることがちゃんと伝わればそれで良いって考えです。

誤解だよと笑って許せる心を持って、日々過ごせる方が自分も相手も穏やかに過ごせますし、豊かな関係を築けるだろうなぁとつくづく思います。

 

社会的に間違っていること全てを笑って許す心を持て!とは到底言うつもりはありませんが、日々起こる出来事なんて些細なことです。

許すスキルを磨いて、穏やかな毎日を過ごせるようにしたいですね。

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