こんにちは。Non太です。
一昨日に明日香村をデートして~という記事を書きました。
この記事の中で、奈良矯正展というイベントに寄った時に性格診断テストなるものを行いました。と書いています。
結果は見事に真逆。僕は”もう少し周りを見ながら行動しよう”と。妻は”もう少し周りを気にせずに自信を持って行動しよう”という結果でした。
ここまで真逆になることがあるんだなと驚きでしたし、これを信じるわけじゃないですが、やっぱり夫婦ってそういういところもあって当然なんだなぁと妙に納得。
違った価値観を持った人だけが良いわけじゃないけど、同意ばかりがある人との関わり合いの中に成長はなく、自分と意見が違った人がいるからこそヒトは成長していく生き物なんだと思うというお話しです。
同意ばかりする人しか周りにいなくなった瞬間に、相手に歩み寄る力を無くす
★これ格好良いと思わへん?
⇒はい。格好良いと思います。(いや、ダサいに決まってるやん!という心の声)
★これをしたくないとか言う奴がいるねん!
⇒バカですよね。したくないとか言うなんて(当たり前でしたくないやん!という心の声)
★俺はあいつは良い奴やと思ってるねん
⇒もちろんいい奴ですよね~(バカか!あいつの本性知らんのお前だけじゃ!という心の声)
★みんな俺が自己中って言ってくるねん
⇒ええ。少し自己中と言うか…何というか…
といった具合に同意ばかりを得ていると、完全に感覚がマヒします。自分に同意しない奴らがバカ!といった風に。
そして最後の例のように、今までひたすら自分の気持ちを隠して同意していた人が、ふと反論を始めると、『こいつまで俺に逆らいやがって!』的な気持ちが先行し、もはや代替案を考えてみるだとか相手の気持ちを考えてみるだとか、相手に歩み寄っていくということが出来なくなるんです。
自分に同意するのが当たり前⇒同意されないと腹が立つ⇒同意しない相手が悪いと勘違い⇒相手に対して歩み寄る気持ちは皆無
もはや、”考える”という作業を放棄してますよね。
価値観が違うからこそ生まれる歩み寄る気持ち
信念を貫いて自分は間違ったことをしていないからという気持ちで人の話しにわき目も触れず突き進むのと、自分が絶対に正しい。だから俺は誰の話しも聞かずに突き進むぜ!というのとでは、突き進むという意味でも全くワケが違います。
妻との生活の中で歩み寄る気持ちを持つ事で、どれだけお互いの価値観の違いを緩和してくれるのかというと、それはそれは計り知れないパワーがあります。
それに気付けるかどうかだけだと思います。
僕は会社を辞める事にしました。
もちろん今は妻も納得して、自分の好きなようにやったら良い。頑張ることを応援するよ!と言ってくれています。
もちろん間違ってるとは思ってないし、自分は正しいことをしているとも思っているし、さらにはそこには信念を持って行動しているつもりでした。
妻は、僕が会社を退職することに対してNoという答えは言ってきませんでしたが、初めて僕が伝えた時は良いよと言ってくれる中にも、ちょっと不安…と言葉はポロリと出てきたことはあります。
ここでもし僕が、『黙って俺の行動を見ておいてくれたらいいから!』とだけで終わらせてしまった場合、妻の心の中はどうなるでしょうか?
恐らく、不安で押し潰されてしまったり、気持ちよく応援出来なかったり、色々なひずみが出てきてたと思います。
僕はちゃんと妻と向き合い、話をして、ちゃんと理解してくれているので、今は自由に行動を起こすことが出来る状態となっています。
自分ではなかなか成長しているなどは気付かないものですが、こうやって妻に理解してもらおうと話すことで違った考え方に触れたり、自分も理解してもらおうと妻に歩み寄る姿勢をもったり、そういう中で気付けば成長しているというものです。
理解してもらえていないものを理解してもらおうとするために自分から歩み寄るということは、妻だからこそできることかもしれませんが、その歩み寄る気持ちを持てれば夫婦関係はうまくいくんだと思います。
日々の生活で成長させてくれる妻に感謝
良く、お互いに成長し合える関係になれる妻が理想だとかそんな意見を聞いた事がありますが、僕は当初まったくそんな気持ちはさらさらなく、ただ一緒にいて癒されて、一緒にいて楽しくて、同じ未来が描ける、とそれだけで十分でした。
でも、こうやってほぼ真逆の性格の妻と暮らすことで、全く今までの僕の生活とは違う考え方に触れることができ、日々考え成長に繋がってるんだなと感じます。
そこにおける条件は、お互いが歩み寄り寄り添う気持ちを持っているかどうかだけです。
毎日生活してるだけでもそうやって成長させてくれる妻に感謝ですね。
ぜひ自分から歩み寄る気持ちを持って生活してみてください。何かが劇的に変わっていくと思いますよ。
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